●磨崖仏 まがいぶつ
AD
自然の断崖絶壁,または露出した岩石の表面を磨いて仏像を半浮彫または浮彫,あるいは線刻したもので,パキスタン・アフガニスタン・中国で石窟寺院の外壁に刻まれたものが多く,わが国でも奈良時代以降多くみられる。アフガニスタンのバーミヤーンの磨崖仏は,唐の玄奘の『大唐西域記』にも記録されているが,高さ53mと35mの巨大なもので,多くの石窟寺院を伴い,5世紀前後の作とされている。ただし,イスラーム教徒により顔面等が損傷されている。ガンダーラから中国に通ずる要路にあたるチラスやカルガ・カレガイにも5世紀ごろの磨崖仏が残されている。あるいは,チベット仏教の影響下にあるインド西北部のラダグ地方にも古いもの(年代不詳)をみることができる。こうした技術は中国に入って敦煌に壮大な石窟寺院を出現させたが,さらに,甘粛省の炳霊寺では,石窟寺院の外壁に高さ27mの磨崖仏を残し,中国各地でもみられるようになった。山西省の雲崗(大同)・河南省の龍門・山東省泰山霊厳寺千仏崖などはとくに有名である。こうした磨崖仏や石窟寺院は,非常に長い歳月と王侯貴族の経済力を尽くして造営された。朝鮮半島では,新羅時代につくられた慶州南山の神仙庵磨崖仏が優れている。日本では仏教伝来(552)以後,小型の石仏はつくられることはあっても,磨崖仏の出現までには歳月を要した。最古のものと目されている奈良時代後期(770ごろ)の奈良滝寺廃寺の磨崖仏は火災による損傷が著しい。同じく奈良県室生の飯降磨崖仏は風化が甚しい。『今昔物語』巻11に出てくる笠置の磨崖仏は兵火で欠落し,現在のものではないが,記録によれば,十丈余の岩壁に刻まれていたという。奈良県五条の宇智川磨崖仏は778年(宝亀9)の銘を有している。平安初期の代表作としてほぼ原形をとどめているものに滋賀県栗東の狛坂磨崖仏がある。磨崖仏が全国に普及したのは平安中期以降である。畿内では笠置山虚空蔵石,南山城加茂の大門磨崖仏,奈良県室生の大野寺磨崖仏,東国では元箱根磨崖仏,栃木県の大谷寺磨崖仏・左貫磨崖仏,福島県泉沢薬師堂磨崖仏,岩手県達谷窟磨崖仏,富山県大岩日石寺磨崖仏,西国では大分県に集中し,熊野磨崖仏・臼杵磨崖仏群などが有名であるし,佐賀県の鵜殿窟磨崖仏もかなりの規模である。〔参考文献〕鷲塚泰光編『日本の美術147号 石仏』1978,至文堂
川勝政太郎『石造美術入門』1969,社会思想社