●前田玄以 まえだげんい
アジア 日本 AD1539 室町時代
1539〜1602(天文8〜慶長7)安土桃山時代の武将。豊臣政権の五奉行の一人。名は宗向,号は民部卿法印・僧正・徳善院・半夢斎。美濃の人で,初めは比叡山の僧でのち織田信忠の臣。1552年(天正10)明智光秀に二条城に囲まれたとき,その子三法師(秀信)を託され,清洲へ逃れた。光秀滅亡後,信雄から京都奉行を命ぜられ,そのまま秀吉に仕えた。1555年(天正13)丹波亀山5万石の城主となり,秀吉の民政を助け,京都の諸行政や寺社のことをつかさどった。1594年(文禄3)には伏見城の工事を分担し,翌年7月近江八幡山城5万石の城主となったがこれは風説だけ。1598年(慶長3)に五奉行の一人となり,1600年関ケ原の戦いでは石田三成の西軍に加盟し,兵1,000人で大坂城留守居役をつとめた。家康政権下では所領安堵をうけ,豊臣廟守護と称して逃げをうった知恵者であった。1602年5月7日死す。64歳。前身については,尾張国小松寺の住職(『武功雑記』)にかかれているが,よくわからない。
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