●本能寺の変 ほんのうじのへん
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天下統一途上にあった織田信長を明智光秀が急襲殺害した事件。1582年(天正10)5月,信長は備中高松城攻囲中の羽柴秀吉激励のため安土を発して京都に入り,本能寺に館し,子信忠も妙覚寺に宿館をとった。時に,信長は諸将を秀吉軍に合流させ,中国経営に突破口を開かんとしたが,その先鋒隊を命ぜられた光秀は,丹波亀山に向かう途中本能寺を襲った。信長に侍するもの160人余,全員討死,信忠も二条城にこもったが,ここで戦死した。光秀は洛中の銭を免じ,五山および大徳・妙心二寺に,祠堂銭を寄附するなど,人心収らんにつとめたが,急拠備中から戻った秀吉に山崎の合戦で敗れた。本能寺の変は日本史上,著名な事件として潤色・脚色・想像を拡げてもいるが光秀も天下を狙っての下剋上実行であったと思われる。信長の横死により天下人の座は再び多くの武将に好機到来となったが,結局秀吉によって近世封建社会の基盤が成立した。