●本多正信 ほんだまさのぶ
アジア 日本 AD1538 室町時代
1538〜1616(天文7〜元和2)安土桃山・江戸時代前期の大名・武将。本多佐渡守利正の子。母は松平清康の侍女。三河譜代の生まれ。幼名正保・正行,通称弥八郎・佐渡守。はじめ家康に近侍したが,1563年(永禄6)酒井氏とともに三河一向一揆に加わって家康と対決したが,和議が成立したあと京都へ出て松永久秀に身を寄せ,のち加賀へおもむき一向一揆の将となる。1582年(天正10)許されて三河へ帰り,高木九郎広正にしたがい鷹師会計をつかさどり,武田氏滅亡後に,家康の甲州経営において甲斐の国内制圧につとめ,実務官僚として頭角を現し,江戸打ち入りの以後関東経営のため相模国玉縄1万石の封知をもらい,そのあと家康に近侍し江戸城を修築。関ケ原の戦いでは真田の上田攻め,秀忠から信任を得,晩年の駿河の大御所家康の最高の謀臣吏僚として活動する。代官頭の指揮系統を握り民政吏僚の総元締,大坂の陣の功労で2万2,000石となり,家康の死後間もなく死去,79歳。著述に『本佐録』があるが,彼の著作かどうか不明。
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