●本草学(中国) ほんぞうがく
アジア 中華人民共和国 AD
中国でおこって発展し,わが国にも伝来した薬物に関する学問。本来は神仙薬の研究を主としたものであり,不老不死を追求するものであったが,魏晋南北朝時代に,医学・薬学が発展し,また西域・南海より新薬品が導入されたことによって,大きく変化した。梁の陶弘景は当時の本草学に関する諸説を総合し,実際の医療に有益な薬物書を編さんすることを志し,『神農本草経』に補注を加え,500年(永元2),『神農本草経集註』を作成した。本書には700余種の薬物が記録されており,本草学の基礎となったものである。唐代になると蘇敬が勅命によって,659年(顕慶4)に『新修本草』を編さんしたが,これは『神農本草経集註』に補訂や新薬品を加え,さらに初めて本草図を付したものである。唐代にはこのほか私撰の本草書として孟銑の『食療本草』などがあり,注目すべきものである。五代の乱世においても,蜀の韓保昇は王の命により『蜀本草』を編さんしたが,これは『新修本草』にもとづき新しい知見を加えたもので,当時の四川本草学の発展を示している。宋代に入ると医書や本草書の刊行は国家的事業として行われるようになり,国初の974年(開宝7)に『新修本草』を改訂し,国子監で刊行した。これが『開宝本草』であり,さらに1060年(嘉祐5)には,掌禹錫らが中心となり,『開宝本草』に補注や改訂を加え,翌年には蘇頌が中心となって『図経本草』を作成した。『嘉祐補註本草』20巻・『図経本草』20巻は上記のように成立したが,本文と図版が別々であることは利用上に不便であり,両者を合併することが企てられた。すなわち1092年(元祐7)陳承は『重廣補註神農本草並図経』を編さんすることによって両者を合一し,これより少し前,蜀の医者唐慎微もまた同一の趣旨のもとに『経史証類備急本草』を作成した。後者は医者が本草書を利用する際の便宜を考えて実用的に編さんされており,1108年(大観2)の『大観本草』,1116年(政和6)の『政和本草』,1159年(紹興29)の『紹興本草』はすべてこの体裁にならっている。元代には王好古の『湯液本草』が刊行され,金・元時代における本草学を代表している。明代では,1505年(弘治18)劉文泰らが勅命により『本草品彙精要』を編さんした。これは『経史証類備急本草』以来の諸種の「証類本草」をさらに実用的に改編したものであるが,刊行はされなかった。ついで1552年(嘉靖31)李時珍が本草学の集大成に着手し,1896年(万暦24)に『本草綱目』を刊行した。本書は「証類本草」をもととしてはいるが,新しい見解と分類法に従って本草学をまとめたものである。医学界には好評をもって迎えられ,28種の版を重ねた。〔参考文献〕中尾万三『本草の思想』岩波講座 東洋思潮支那思想科学,1934,岩波書店