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●本陣 ほんじん

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 本陣の称呼は,古来戦陣を張った際,総大将の居座となった場所を,本陣と呼んだことに始まるとの説も行われたが,江戸期各宿駅に本陣職の設置される以前の戦国ごろから,諸侯の休泊施設として御殿・御茶屋・御旅屋・御假屋などの名で封建領主によって営まれたものが本陣の先蹤であるとされ,各地の御殿の跡が漸次明らかにされつつある(たとえば近江野洲郡永原の永原御殿跡のごとく,周囲に水濠を廻らした一画が残っている)。五街道を初めとする主要街道に江戸初期本陣が設置されて以後,幕末まで継続し,明治初年設置の駅逓役所の場所にも利用されたものもあるが,大部分は主要利用者であった宮家・幕府役人・参勤交代の大名・公卿の利用廃止とともににわかに衰え,現に遺構のそのままに残る宿駅は少なくなり,それらは市・町の記念物として公の手で保存されるか,啻敷地跡に「旧本陣跡」の碑石を残すだけの所が多い。宿のほぼ中央部に位置することの多い本陣の規模は一段と広大で各宿のものそれぞれに,多少の規模の差はあるが,共通性,すなわち門構と駕籠を下りて土を踏まずに部屋に通り得る大玄関,その奥の別棟の最奥が上段の間で床が30cm余も高くなり,その奥が厩で便壺がないという特色がある。200畳敷に余る大屋根下の各部屋は昼間は薄暗かったであろう。本陣の収入は食事(休泊覚帳には上・中・下のそれぞれの料理の内容,一人あたりの料金まで記されている)料・休泊料に加えて,大名・公卿などのそれぞれによる,また家々による差はあるが,金一封の接待料が与えられる。小休(途中での小憩)・昼休(昼食をとる)・御泊の3種の利用形態があるが,「御泊」の率の多い本陣ほど有利なことは当然であり,宿により宿泊率の高い宿の本陣,昼休の多い宿の本陣と,宿の位置とおそらくはサービスの差によって大差があり,各宿の本陣ごとに相当の開きがあり,ひいては栄える宿,疲弊する宿の差が生じる。脇本陣は本陣に差し支えのある際の代勤のためのものであるが,建築は本陣に比してやや簡素,また事実上の利用は稀でも,家格として脇本陣となり,1宿に3〜4軒の脇本陣の定められている例も多い。

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