●本家・分家 ほんけ・ぶんけ
アジア 日本 AD
日本の村落社会における基礎的社会関係の一つとして,本分家関係はきわめて重要な関係の一つである。本分家関係の成立の契機やその構造は,分家形態と関連して地域的に多彩な様相を呈している。したがって本分家関係の構造を明らかにする上で,分家の形態と構造の考察が重要である。一般的にいえば,分家とはある家族に所属する家族員が分離して,新たな社会構成単位としての家族を創設する分家行為によって形成された家族をいう。しかしながら日本においては,家族員の分離による新たな家族の形成のすべてを分家と呼んできたわけではなく,また分家行為によらないで特定の家と本分家関係を締結して分家となる例もしばしばみられた。分家はまず単なる家族員の分離ではなくて,新たな家族の形成が何らかの形で社会的な承認を受けなければならない。村落社会においては,とくにこれが重要であって,社会的承認を得るための村への挨拶などかずかずの手続がなされてきた。また通常,分家とは本家から田畑・山林・屋敷地・家屋・家財道具などの財産の分与を受けた場合をいい,財産分与を受けない場合をとくにドクリツ(独立)などと呼んで区別している例がみられる。象徴的にみれば,分家とは本家から土地と畑を分けた新しい家族である。さらに本家をもたない家や村外から転入してきた家が,村での社会生活の必要上タノミホンケ・ツクリホンケなどと呼んで契約的に特定の家の分家となる例も東北地方などにおいてしばしば認められてきた。このように一般的に本家・分家という場合,本家は分家形成に際して少なくとも本家に両親をおき,財産の大きな部分を所有し,祖先祭礼を掌握し,かずかずの生活上の特権をもつものであった。これらは主として本家の「親がかり」による恩恵的な分家の場合にしばしばみられた。しかしながら,これと対照的に次・三男の分家に親が同行する隠居分家や,本家・分家で財産を均等に分割する相地分家などの場合には,本家が分家に対して絶対的な優位をもつものではなかった。なかには財産の大きな部分を分家が所有し,祖先祭礼も分家で行うものもみられた。
このような多様な分家を,本家との関係のあり方を視点として分類すれば,この型に分けることができる。一つは本家との力の差が明確であって,本家に対して従属的な分家である。この型の分家は従来から「隷属分家」「従属的分家」などと呼ばれてきた。いま一つの型は,本家との力の差が明確でなく,時には分家が優位に立つこともみられるような分家であって,これは「対等分家」「独立的分家」と呼ばれてきた。本分家間の力関係は政治的経済側面のみならず,祖先祭礼的側面にも現れる。祖先祭礼に注目すれば対等分家もしくは独立的分家の場合に,しばしば「位牌分け」や「分牌祭礼」などの位牌祭礼形態がみられる。なかでも位牌分けは親の位牌をその子供たち全員が分けもって祖先祭礼を行うものであり,本家の絶対的優位を否定する位牌祭礼形態である。
こうした分家の類型に対応して日本の本分家関係を類型化すれば,本家の分家に対する優位が顕著な本分家関係で,本家と分家が対等的な本分家関係の二つに類型化することができる。東北地方のマキ・エドウシなどの名称で呼ばれてきた本分家関係は前者であり,その他の地方でカブウチ・ドウケウチ・ジルイ・ジミョウ・ジワケと呼ばれてきたのは後者に属する。本家の優位が顕著な本分家関係は従来から同族組織として類型化されてきたものであり,岩手県や秋田県の典型的に認められてきた。しかし日本の本分家関係はこうした本分家の格差が明確なものばかりではなかった。とくに関東地方以西の本分家関係は相互扶助的であり,したがってこれらの本分家関係は,同族組織に対して「同類組織」と呼ばれるべきであろう。この型の本分家関係は西南日本の村落社会構造や親族組織において重要な位置をもちつづけてきたのである。