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●ボロブドゥール

アジア インドネシア共和国 AD 

 インドネシアの中部ジャワ,ジョクジャカルタの北西28.8kmにある仏教遺跡。カンボジアのアンコール=ワットがヒンドゥー教寺院として創建され,その後,仏教寺院に衣がえさせられたのとは異なり,ボロブドゥールは最初から仏教寺院とし建てられた。この意味で,ボロブドゥールは単一の仏教遺跡としては東南アジア最大のものである。

【丘の上の仏教寺院】ボロブドゥールという語の意味については,定説はない。オランダ人学者ストゥテルヘイムはジャワ語で「丘の上の仏教寺院」といい,これが最も妥当とされている。シャイレンドラ朝時代の建立と推定され,釈迦暦682年(760)の碑文がのこっており,オランダ人学者クロムは8世紀後半の建立といっている。ボロブドゥールは長年月にわたり,遺跡の半分以上が地中に埋まっていた。イギリスのラッフルズにより発見されたのは,1814年である。その原因は不明であるが,火山の爆発によるとする説や,偶像を否定するムスリムによる破壊を恐れて地中に埋めたとする説などがある。インドネシア民族の宝ボロブドゥールは,ラッフルズの統治時代に一部が発掘され,1814〜15年に第2次発掘が行われて,壁画の浮彫りなどが日の目をみ,1907〜11年に復原工事が行われた。

【ボロブドゥール=コンプレックス】ボロブドゥールの東には,2,590mの地点にチャンディ=ムンドゥト,1,800mの地点にチャンディ=パオンがあり,これらが一直線上に並んでいる。チャンディは,寺院と墓の複合的建築を呼ぶことばで,ボロブドゥールもチャンディ=ボロブドゥールと呼ばれている。この3寺を総称して,ボロブドゥール=コンプレックス(複合堂祠群)と呼ぶが,これは大乗仏教の教義にもとづいたもので,人間が仏になるための準備段階である資糧道・加行道,すなわち現世にチャンディ=ムンドゥトチャンディ=パオンがあたる。ボロブドゥールは来世を意味する。

【遺跡の構造】ボロブドゥールは,自然の丘の上に建つ9層からなる階段式の遺跡である。基壇は111.5mの正方形で,第6層までは複雑な凹凸のある方形基壇の回廊になっている。この部分には432カ所に仏龕があり,そのなかに仏像が安置されている。仏像は,東西南北の方角により印契・印相,すなわち両手の位置と形が変えてある。基壇を除く5層の方形基壇の回廊には,仏伝や仏陀が生前行った善行の物語り「本生譚」などに題材をとった厚肉の浮彫りがあり,その数は1,460面に及ぶ。第7層から第9層は円形の基壇で,方形基壇とは対照的に,同心の3層の円壇からなる。円壇には,下から32・24・16の釣鐘形の小塔,すなわち小型のストゥーパがあり,なかに仏像が安置されている。方形基壇の回廊にみられるような装飾豊かな壁面はない。石を市松模様に組んだ小塔があるだけで,仏像はみえるようになっている。これらの仏像は釈迦牟尼仏で,転法輪の印を結んでいる。頂上には大きな釣鐘形のストゥーパがあり,石をきっちりと積みあげているため,内部はみえない。塔の頂部は欠けていた。この塔には未完成の仏像が安置されていただけで,ほかに聖物らしいものはない。なお,このような方形基壇と円壇からなるボロブドゥールをマンダラとする見方もある。

【ジャワ的仏教遺跡】ボロブドゥールは,大乗仏教の教義にもとづいて建てられたといわれている。それは,菩薩が救いに達するための十地の教義,すなわち菩薩の修業の10の段階と符合している。上層にいくほど飾りがなくなっているのも,菩薩が救いに近づく,より高い段階を示している。大乗仏教の教義にもとづいて建立されていることは,インドネシア人の祖先崇拝を表したものといわれている。ボロブドゥールは,グプタ朝の仏教美術をうけいれたものであるが,インドの仏教遺跡とは異なる。いわゆる寺院ではなく,多数の塔の集合体であり,遺跡全体も塔の形をしていて,インドネシア独自の建築様式にもとづいている。仏像は,着衣が描かれているものは稀であり,頭は螺髪でおおわれ,容貌はジャワ的な静けさと安らかな雰囲気をたたえている。ボロブドゥールは,美術的には,インドネシア人の創造性を示したものである。1970年以来,ユネスコの援助で修復され,最上部の塔の頂部なども復元された。

〔参考文献〕千原大五郎『ボロブドール』1970,毎日新聞社

並河萬里『ボロブドール』1971,平凡社