●ホルテンシウス法 ホルテンシウスほう
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ローマはサムニウム人と前343年から前290年にかけて3次にわたって戦争を行いイタリア統一をほぼ成し遂げた。しかしこの戦争の結果プレブスとパトリキの身分闘争が再発し前287年プレブスは借財問題をきっかけにヤニクルウムの丘にたてこもった。事態解決のため前287年プレブス出身のクィントウス=ホルテンシウスがディクタトルに任命され法案を成立させた。今日伝わっているホルテンシウス法によれば平民会決議は以後元老院の承認がなくても全市民を拘束する国法と認められるようになった。同じ年に定められたもう一つのホルテンシウス法は裁判会は農民がローマに出てきている休日に開かれることを定めている。裁判民会が都市に居住する市民だけの利害で行われることを阻止し農民の利益を擁護しようとするものであった。この二つのホルテンシウス法によってこの年パトリキとプレブスの身分闘争が終結し共和政ローマの政治組織が完成したと一般にいわれている。
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