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●ホラーサーン

アジア イラン・イスラム共和国 AD 

 イラン東北部の州名。マシュハド(メシェド)を中心とする地域だが,近代以前の地域名としては,ニシャプール・メルヴ・ヘラート・バルフの4区域を包含し,アム川以南,ヒンドゥクシュ山脈以北の広大な地域をさした。現在のイラン・ソ連・アフガニスタン3カ国にまたがっている。東西交通路の要衝にあたり,この通路はとくにホラーサーン街道と呼ばれた。多くの民族が侵入し,その絶え間ない消長の繰り返しがあった。アケメネス朝時代,イラン東北部はパルタヴァ人パルティア人)の居住地で,やがてここからパルティア王国が発展する。ササン朝を滅ぼしたアラビア軍は,651年,この地を占領し,ウマイヤ朝時代,ホラーサーン総督クタイバはここを根拠地に中央アジア経略を進めた。のちに,ホラーサーンはアラブ人優位の体制に不満をもつ反ウマイヤ勢力の中心地となり,アッバース朝を成立させる原動力となった。中国・唐とも通交があり,ホラーサーン総督アリー=ビン=イーサーは中国の陶器など2,000点をカリフのハールーン=アッラシードに献上している。アッバース朝の将軍ターヒルは,820年,ホラーサーンに独立政権(ターヒル朝)を樹立したが,半世紀余りでシースターンのサッファール朝に占領された。ついで,トランスオクシアナに興ったサーマーン朝が,900年,この地を併合した。10世紀末以後はトルコ系の諸王朝,ガズニ朝・セルジューク朝・ファーリズム=シャー朝があいついでこの地を支配した。1220〜21年,チンギス=ハンの西征軍が侵入し,ホラーサーンの征服は主としてトゥルイに委ねられた。多くの都市が壊滅的打撃を受け,とくにメルヴ・バルフは廃墟となり,復興できなかった。イル=ハン国の領土となったが,しばしばチャガタイ=ハン国が侵攻を図った。ホラーサーンの統治は歴代イル=ハン家の有力な親近者に委ねられ,名君ガーザーンもここを地盤にハン位にのぼった。イル=ハン国が崩壊したのち,ティムールが1380年代にその全土を占領し,その子シャー=ルフヘラート・ニシャプールの復興につとめた。16世紀初頭,ウズベク族が南下し,一時占拠したが,サファビー朝がこれを撃退し,ホラーサーンを領有した。しかし,アフシャール朝のナーディル=シャーの死後,1747年,ヘラート・バルフはアフガン王国の領有に帰し,メルヴは,1787年,ボハラ=ハン国の侵攻を受け,ついでヒヴァ=ハン国領となり,1884年ロシアに併合された。イラン政権の領土にとどまったのはニシャプール地区だけとなった。こうしてホラーサーンの地は3分割され,1886年,現在の国境線が画定された。