●ボナパルティズム
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フランス第一帝政と第二帝政を規定した概念。【古典的定義】エンゲルスは,プロイセンのビスマルク体制もこれと類似した国家形態としたうえで,通常,経済的支配階級が政治支配を行うが,例外として相たたかう諸階級(ブルジョワ革命または絶対王政のなしくずし的な変革後のブルジョワジーとプロレタリアート)の力が互いに均衡しているため,国家権力が外見上の調停者として現れるのがボナパルティズムである,とする。マルクスは階級均衡論ではなく,分割地農民を支柱とした,後進資本主義国フランスに特有の権力形態と規定。このような把握はナポレオン権力の暫時性と,プロレタリア革命の切迫という情勢認識と一体不可分であった(のちに両者とも認識を変更)。
【歴史的・実証的定義】第一帝政のボナパルティズムとは,まずフランス革命の混乱の収拾を前提とし,旧貴族・廷臣が後押しするブルボン王家の復活と,急進的小市民層を基盤としたジャコバン民主政の台頭を防止する使命をもっていた。そのうえで,外国諸列強との戦争を継続し,そこから生じる軍事的栄光を背に,人民投票による正当化と神権説をてことして自己の世襲王朝の樹立にまで進んだ。分割地農民の私有地を保証し,占領地でも教会財産の売却を行った点はフランス革命の延長とされ,高関税政策をとってフランス資本主義を保護したのも政策上の特徴。自由主義的代議制は徐々に封殺したが,再起をはかった百日天下のさいは,自由帝政と呼ばれる実験を行った。第二帝政のボナパルティズムは,金融寡頭政に対する自由主義改革と,社会主義運動の複合物としての二月革命直後の政治の不安定−−とりわけ山岳党の進出や秩序党の寡頭支配の危険を,大統領権限で抑えることで収拾し,第一帝政への民衆的憧憬に訴えつつ人民投票をてこに,世襲王朝への道をとったルイ=ナポレオンの支配をさす。産業革命を経過したフランス資本主義を,自由貿易政策への転換で刺戟を与えようとした。治世後半は自由帝政に転じて議会制を生かし,労働者にも団結権を認めた。
【第一帝政と第二帝政の異同】共通する点から述べると,ともに中央集権的な官僚体制に支えられ,経済的にはブルジョワジーの利益に沿った政策をとりながらも,代議政体は抑圧した。その代わりに人民投票によって代弁者をもたぬ農民の支持に訴えた。これによってまず,王政復活の危険をしりぞけたが,農民の側でも反革命や,地方名望家の影響から脱出し,首都の急進的な運動を抑える力を期待したのである。また他帝国下の民族運動の支援を大義として軍事介入するが,民族的自覚が逆にフランス帝国への反抗に転じた点でも共通している。ボナパルティズム即軍事支配ではないが,国内の潜在的対立を対外戦争にそらす必要もあって戦争状態が持続し,決定的敗戦が即体制の終息につながった。異なる点は,経済政策と代議制に求められる。ナポレオン1世の保護貿易とナポレオン3世の自由貿易とは,それぞれ反英外交にも,また親英外交にも連動するが,これは19世紀初期と中期のフランス資本主義の発展段階の違いによる。また,百日天下での議会制が実験的な意味をもったにすぎないのに比し,1860年以後1870年までの自由帝政は,ブルジョワジーの政治的成熟を示すものである。体制崩壊が,前者の場合は土地貴族がばっこする王政復古をもたらしたのに対して,後者では,不安定ながらも共和政となり,議会の権力が飛躍的に増大したことから明らかである。また,1870〜71年にはパリ=コミューンの乱が生じ,第二帝政下のパリ労働者・職人の連合と自治の能力が試されたが,これは第一帝政後にはなかったものである。
〔参考文献〕マルクス「フランスにおける内乱」「ルイ=ボナパルトのブリュメール18日」(大月書店版マルクス・エンゲルス全集所収,エンゲルス「住宅問題」(大月書店版マルクス・エンゲルス全集所収)
上山春平『歴史分析の方法』三一書房
中木康夫『フランス政治史』上,未来社
河野健二編『フランス・ブルジョア社会の成立』岩波書店
西川長夫『フランスの近代とボナパルティズム』岩波書店