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●北方領土 ほっぽうりょうど

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 理解を容易にするために問題の領土を四つのグループに区分する。すなわち,[1]北緯50度以南の樺太島,[2]ウルップ島からシュムシュ島までの18島,[3]択捉島と国後島,[4]北海道の一部といわれる色丹島と歯舞群島である。これらの[1]から[4]までを広義の北方領土といい,第二次世界大戦まで日本が領有していたが,現在はソ連の統治下にある。狭義の北方領土というのは[3]と[4]で,日本は自国領土であると主張するとともに,ソ連による不法占拠を非難している。

【歴史的背景】1853年(嘉永6)にロシア使節が来航し江戸幕府とのあいだで国境画定と開国通商のための交渉がもたれ,1855年(安政1)に日露通好条約が結ばれた。この条約で[2]をロシア領,[3]を日本領とし,[2]と[3]とのあいだのウルップ海峡に国境を定めるとともに,樺太島を日露両国の共有地にした。しかし,樺太島において日露両国民間で争いが絶えず国境画定の必要が生じたため,1875年(明治8)に千島・樺太交換条約を結び,樺太全島をロシア領と認める代わりに[2]を日本領とした。その後日露戦争が勃発し,1905年(明治38)にポーツマス講和条約が結ばれ,[1]はロシアから日本へ割譲された。これ以降日本が第二次世界大戦で連合国に負けるまで[1]から[4]までの島々,すなわち広義の北方領土は日本の領土でありつづけた。この戦争は連合国の発したポツダム宣言を日本が受諾することにより1945年(昭和20)8月15日に終結したが,同月18日にシュムシュ島に対してソ連が攻撃を開始し,結局[1]から[4]の広義の北方領土は,降伏文書の調印日の9月2日までにソ連軍により占領された。講和会議において吉田全権が反対を表明したにもかかわらず,日本は1951年(昭和26)の対日講和条約第2条C項で,千島列島と[1]に対するすべての権利,権限および請求権を放棄させられることとなった。ソ連は,千島列島と[1]の帰属先が条約中に明記されていないことを不満として,調印を拒否した。法的な戦争状態を解消するために,日本・ソ連両国は平和条約締結の交渉を開始したが,領土問題で合意に達しなかった。1956年(昭和31)にようやく調印された日ソ共同宣言の第9項には,[1]が平和条約締結後にソ連の好意で日本に引き渡されると規定されていた。日本は残された未解決の問題に領土問題が含まれる旨を了解していたが,ソ連は含まれないとの意見であった。

【ソ連の領有根拠】ソ連は北方領土の領有根拠を具体的に説明していないが,公式見解によると,第二次世界大戦終了前後に結ばれた一連の国際協定にもとづいて,北方領土の帰属問題は解決済みであるとする。日本が受諾したポツダム宣言第8項において,日本の主権の及ぶ範囲は連合国が決定すると規定されている。しかも,対日講和条約で日本が放棄した千島列島および[1]の帰属先がソ連である旨は以前にヤルタ協定で合意されていたのであって,日本もこれを日ソ共同宣言で認めたというのである。ヤルタ協定とは,1945年2月にアメリカ・イギリス・ソ連3国によってソ連の対日参戦の条件が約束されたもので,第2項(a)で[1]はソ連に返還されること,第3項で千島列島はソ連に引き渡されることが規定されている。

【日本の領有根拠】[3]および[4]は日本固有の領土であり,対日講和条約で日本が放棄した千島列島に含まれていない,というのが日本の公式見解である。ポツダム宣言第8項で連合国はカイロ宣言の履行を確認しているのであり,このカイロ宣言のなかでアメリカ・イギリス・中国3国は対日戦争の戦後処理の目的を表明しているが,その一つに領土不拡大の原則を掲げている。ソ連は当事国としてポツダム宣言に拘束されることから,カイロ宣言にも間接的に拘束されている。したがって,対日講和条約で日本が放棄した領土は,いずれの連合国の領土をも拡大するものとはならないはずである。換言すると,これまで一度も外国の領土となったことがない日本固有の領土である狭義の北方領土については,放棄した千島列島に含まれておらず,連合国の一国であるソ連がそれを領有することは不法な領土の拡大となる。

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