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●堀田正睦 ほったまさよし

アジア 日本 AD1810 江戸時代

 1810〜64(文化7〜元治1)江戸時代末期の政治家。下総佐倉11万石の藩主。初名は正篤。奏者番・寺社奉行・大坂城代をへて1841年(天保12)に老中となったが,2年で辞任。帰国後は佐倉藩天保改革を行った。勧農掛設置をはじめとする農村政策,藩校を改組拡充して蘭学を奨励し,西洋医学の導入・洋式兵制の採用などの学制改革がその特色である。1855年(安政2)再び老中となり,阿部正弘に代わって老中首座として難局に当たった。日米修好通商条約に関してアメリカ総領事ハリスと交渉。条約調印の勅許を得るため上京,朝廷と折衝したが失敗。将軍継嗣問題一橋慶喜を支持。1858年(安政5)井伊直弼の大老就任ののち,老中を罷免された。さらに1862年(文久2)蟄居を命ぜられ,佐倉城内松山御殿に閑居した。