●北海道開拓使官有物払い下げ事件 ほっかいどうかいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん
AD1881
いわゆる“明治14年の政変”の契機となった開拓使官有物の民間払い下げをめぐる政治事件。1872年(明治5)以降10年間の計画で進められた開拓使による北海道開拓事業は,1882年初頭にその満期を迎えていた。開拓使の廃止を目前にした1881年7月,開拓大書記官安田定則ら4名は協議のうえ,一社を設立して開拓使の諸工場の払い下げを受け,開拓使事業の継承を意図する内願書を開拓長官黒田清隆に提出した。それによれば,安田らの設立する“北海社”が,開拓使所有の東京・大阪・函館・札幌などの地所・官舎・倉庫・船舶・農牧場などを38万余円,30年賦で払い下げてもらおうというものであった。この払い下げ願いは黒田の強硬な主張もあって8月1日付で認可された。しかし,これを知った東京横浜毎日新聞や郵便報知新聞は,払い下げの主体と目された“関西貿易社”(1881年5月,政商五代友厚らによって設立された商社)や開拓使に対して,黒田らの薩閥官僚と政商が結託して公物を私物化するものとして,激しい攻撃を加えた。やがてそれは,藩閥政府批判の当時の政情と結びつき,さらに国会開設を要求して高揚しつつあった自由民権運動とも結合し,全国的な反政府運動に発展する兆しをみせた。政治的危機に陥った政府は,同年10月12日,払い下げ処分を取り消すとともに,10年後の1890年に国会を開設するとの詔勅を公示し,この危機を乗り越えた。なお,“北海社”と“貿易社”は,開拓使官有物の払い下げを受けたのち,合併する予定であったといわれる。