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●渤海 ぼっかい

アジア 中華人民共和国 AD698 唐

 698〜926 7世紀末から10世紀の初めにかけて,ソ連領沿海州・中国東北地区南東部・朝鮮半島北東部を領域とした王国。一般人民は靺鞨人であったが,支配層の多くは高句麗の遺民であった。

【歴史】668年(総章1),唐は高句麗を滅ぼすと,唐に抵抗した高句麗人とこれに協力した靺鞨人を西方の営州(現在の遼寧省朝陽県)に強制移住させた。696年,同じく営州に移住させられていた契丹人の唐朝支配に対する反乱に乗じて,靺鞨人や高句麗の遺民は営州を脱出し,故土へと逃亡した。彼らのなかにおいて高句麗治下の靺鞨人と推定される大祚栄は,一団を率いてよく唐軍に抵抗し,現在の吉林省の敦化地方を根拠に自立し,698年(聖暦1)震国王と称した。震という国名は,易の卦によるもので東方を意味する。 その後,大祚栄は高句麗の復興をめざし,支配領域をひろげ,しだいにその支配権を確立させていった。このため,唐もこの国家を認めざるをえなくなり,712年睿宗のとき,大祚栄を渤海郡王に封じた。渤海という国号はこれより始まる。719年,第2代の王大武芸が即位すると,初めて仁安という年号を建て,唐よりの独立の意志を示した。これ以後,渤海は滅亡するまで独自の年号を建てることになった。また唐・新羅・黒水靺鞨との対抗上,727年(神亀2)には日本に使者を送って修好を求めた。以来,日本との修好は渤海の滅亡までつづく。

 737年に即位した第3代大欽茂の治世は57年に及び,唐に頻繁に遣使し,盛んに中国文化を輸入し,国力が充実していった時期である。唐も渤海の国力を認め,762年大欽茂に渤海国王の号を承認した。794年に大欽茂が死去すると,25年間に6人の王が交代し,819年第10代大仁秀が即位するにいたったが,大仁秀は大祚栄の直系ではなく,弟の大野勃の4世の孫である。大仁秀の治世は12年間であったが,国勢が最も伸張した時期であり,北方の黒水靺鞨を討って領土を拡大した。『唐書』には,この時期の渤海国の繁栄ぶりを,〈海東の盛国〉と記してある。

 大仁秀の死後は,彼の子孫つまり大野勃の系統が王位に即いた。10世紀初め第15代ダイインセン※注1※が即位したが,折りしも唐の滅亡に伴う東アジアの大変動期にあたり,渤海国では支配層内部の抗争が激化し,対外的には西隣の契丹が興起し,渤海と敵対関係となった。そして926年,ダイインセン※注1※は契丹軍に国都上京龍泉府(現在の黒龍江省寧安県東京城)を包囲されたため,戦わず降服した。ここに200年余りつづいた渤海国は,滅びる。

【制度】渤海の制度は,おおむね唐の制度を模倣したものである。中央には,宣詔省・中台省・政堂省が設けられたが,これはそれぞれ,唐の門下省・中書省・尚書省にあたる。政堂省のもとに,忠・仁・義・智・礼・信の六司が設置されたが,これらは唐の六部に相当する。また六司名称から,渤海の支配者層に儒教の影響が強かったことがうかがわれる。さらに,宮中の諸事務を分掌した殿中等の七寺は,唐の九寺の制を簡略化したものである。兵制としては,十衛の中央禁衛軍が畳かれたが,これも唐の十六衛の制にのっとっている。また地方にも唐の折衝府のような軍営が置かれたようである。地方行政制度は,5京15府62州といわれるように,府の下に州,州の下に県が置かれ,府のうち重要なものは,上・中・東・南・西の五京とされた。五京の一つが国都となるが,上京竜泉府が国都となっていた時期が長かった。また上京の遺趾の発掘調査より,上京が,唐の長安の都城制にならって営まれたことが明らかになっている。

【文化】一般民衆の社会や文化の状態は明らかではないが,渤海は唐に対して朝貢使節のほか留学生を派遣し,中国文化を積極的に学びとっていたので,支配者層の人々は中国的教養を身につけていた。日本に来た渤海の使者のなかには文才が高かった者がおり,使者のつくった漢詩が『文華秀麗集』に載せられており,使者が菅原道真らと漢詩の応酬をした事実が『菅原文草』より確認できる。宗教面では,支配者層の人々は仏教を信仰していた。上京・東京の遺址からは,寺院址が発掘され,仏教関係の遺物が多く発見され,渤海の仏教文化の壮麗さをうかがい知ることができる。また宮殿建築も豪華を極めた。上京の宮殿址は内城の中に,南から北へと六つ並んでいるが,第二宮殿は,東西約44m,南北約21mの大建築である。また宮殿址からは,往時の豪奢をしのばせる遺物が多数発見されている。なお,宮殿や寺院の址から発見された瓦の文様は,高句麗時代の伝統を受け継ぎつつ,渤海独特の様式を発達させたものであり,民族的独自性を十分にうかがわせる。

〔参考文献〕鳥山喜一『失はれたる王国 渤海国小史』1949,翰林出版

鳥山喜一,船木勝馬編『渤海史上の諸問題』1968,風間書房

鳥山喜一『渤海史考』1977,原書房

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