●細川忠興 ほそかわただおき
アジア 日本 AD1563 室町時代
1563〜1645(永禄6〜正保2)戦国・江戸初期の武将。細川幽斎(藤孝)の子で,通称を与一郎といった。三斎と号するようになったのは,1619年(元和5)に家督を子忠利に譲って隠居してからである。父幽斎とともに織田信長に重んじられ,丹後宮津城主となった。妻の細川ガラシアが明智光秀の娘だったという関係で,1582年(天正10)の本能寺の変後,明智光秀から招かれたが,これには従わず,豊臣秀吉の側に属し,以後,豊臣大名の一人として好遇された。1600年(慶長5)の関ケ原の戦いでは,父幽斎とともに東軍徳川家康方に属し,そのときの軍功によって豊前小倉城主となり,39万9,000石を領することになったのである。父幽斎と同様,単なる武将ではなく,文化人大名としても有名で,和歌・絵画はもちろん,蹴鞠・乱舞をはじめ,有職故実(ゆうそくこじつ)にも通じ,茶の湯は,千利休に学び,利休門下七哲の一人に数えられるほどであった。著書に『細川三斎茶書』がある。
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