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●細川重賢 ほそかわしげかた

アジア 日本 AD1720 江戸時代

 1720〜85(享保5〜天明5)江戸期の大名。肥後熊本藩主。宣紀の子で,幼名六之助といい,のち,民部・主馬などと称した。初めの名は紀雄。兄宗孝の養子となり,宗孝が1747年(延享4),江戸城中で板倉修理に殺されてしまったため,急遽襲封した。9代将軍家重の偏諱(ヘんき)を与えられ,重賢と名を改めたのである。重賢が藩主となったころの熊本藩は財政的に最も逼迫していたときであり,まず藩政改革に着手することになった。法制を改め,検地を行い,堀平太左衛門を起用して藩政刷新に乗り出したのである。そのため,重賢の改革はとくに「宝暦の改革」と呼ばれ,当時,紀州の徳川治貞の政治と並び称されたほどである。改革のおもな内容は,一つには質素倹約の励行であり,領内把握のための検地を旺盛に行ったことで,これを「地引合わせ」といった。また,藩校時習館をおこしたことも特筆される点である。名君による善政の一つとして伝えられている。