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●ホスロー1世 ホスローいっせい

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 ?〜579 ササン朝ペルシアの王(在位531〜579)。約半世紀にわたる彼の治世は,古代ペルシアの歴史のなかで最も輝かしい時代であった。彼はササン朝最大の王であり,アノーシールヴァーン(Anushirvan,不死の魂を有する者)またはダージャール(正しき者)という称号を受けている。彼は父王カワード1世が保護した新宗教マズダク教を弾圧,教祖と11万の信徒を処刑,国教ゾロアスター教の正統性を確立した。対外的には東ローマ帝国のユスティニアヌス帝と戦い,540年アンティオキアを占領,黒海・カフカスまで勢力を広げ,562年東ローマ帝国とのあいだに50年間の平和条約を結んだ。東方ではトルコ族の支援を受け,帝国に重圧を加えていたエフタルを討ち国境をオクソス川まで広げた。またイエメンにヴァフリーズ将軍の遠征隊を派遣し,ここを占領させた(576年ごろ)。またホスロー1世のもとでは国内政治の改革も行われた。帝国を東西南北の4つの行政区(パードゴース)に分け,4人の軍司令官(スパーフバッド)に軍事行政を担当させた。さらに,父カワード1世が始めた土地台帳を完成し,単位面積あたり作物の種類別の税率を定め税負担の公正化をはかった。また人頭税も個人の財産の多寡に応じて徴収するなど改善が加えられた。文化のうえでもホスローの時代はササン朝の黄金時代とされる。インドの説話『カリーラックとダムナク』が中世イラン語に訳され,インドからチェスなどが伝えられたのもこのころである。クテシフォンに残るターク=イ=キスラはホスローが建てた壮麗な宮殿の面影の一部を今に伝えている。ホスローは晩年メリテーネーの戦いで東ローマの軍に敗れたが,彼はササン朝の最も偉大な君主として後世にその名を語り継がれた。