●戊申詔書 ぼしんしょうしょ
アジア 日本 AD1908 明治時代
1908年(明治41)10月13日に国民教化のために発布された詔書。この年が戊申の年にあたっていたので,この名がある。日露戦争(1904〜05)後,日本の資本主義が大きな発展をみせるとともに,国民のあいだに個人主義的な快楽主義・官能主義の風潮が広まり,社会主義思想も盛んになっていった。それに対し,保守的思想家・教育者などからの批判も上がることとなった。一方,対米事情が悪化し,米国で排日運動が盛んになるなど,対外関係もおもわしくなかった。こうした状況に桂太郎内閣(第二次)は危機感をもち,対外的・社会的・思想的混乱を矯正し,国民精神を作興するためとして詔書が発せられることになったのである。〈宜ク上下心ヲ一ニシ 忠実業ニ服シ 勤倹産ヲ治メ 惟(こ)レ信惟レ義 醇厚俗ヲ成シ 華(か)ヲ去リ実ニ就キ 荒怠相誡メ 自彊息(じきょうや)マサルヘシ〉と述べる詔書は,教育勅語とともに教科書に掲載された。また毎年10月13日を渙発記念日として奉戴の式典が行われ,その徹底化がはかられた。