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●星亨 ほしとおる

アジア 日本 AD1850 江戸時代

 1850〜1901 江戸築地に生まれる。初め医学を志すがのちに英学に変わる。維新後大阪英学校教師から大学少助教・小浜藩洋学教師をへて,陸奥宗光の保護により神奈川県二等訳官となり租税寮出仕・横浜税関長に任じたが,「女王」問題により辞職し英に官費留学,1877年帰国し司法省の御用代言となるが板垣退助の影響から自由党結党に参加,これより自由民権運動にかかわり,1891年栃木県より立候補して衆議院議員となり,さらに衆議院議長となる。しかし,取引所設立問題で議員を除名されたが,補欠選挙で再選。日清戦争では韓廷の法律顧問に任じ,1896年駐米公使となり南米巡遊後1898年帰国,たまたまこのとき憲政党結成と隈板内閣の成立があり,自分に大臣の割当がないことから倒閣を画策し憲政党を分裂さす。第13・14議会では院内総理として山県内閣と提携,さらに伊藤博文と結び旧自由党を解し政友会を創立,逓信相に任ずるが収賄事件により辞職,6月21日東京市参事室にて刺殺される。52歳。

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