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●母権制 ぼけんせい

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母権という学術用語は Mutterrecht の訳語で、スイスのバッハォーフェンが1861年に刊行した『母権論』に始まる。彼は古典の文献資料から婚姻の歴史的発展を大きく三つに分けて想定し、[1]アフロディテ女神に象徴される“乱交的娼婦制”、[2]デメーテル女神に象徴される“女人政治制”、[3]アポロ神に象徴される“父権制”の3段階に分けた。その学説は原始社会から一夫一婦制の家父長制的な婚姻が不変であったとする常識を否定するもので、その進化論的な理論はその後の人類社会史の研究に大きな影響を及ぼした。しかし今日では母権とか母権制という用語を、いくつかの特徴をもつ社会組織の包括的な概念としてとらえ、たとえば[1]母方にだけ血筋をたどってゆく母系出自、[2]地位や財産などを母系出自に即して受け継ぐ母系相続、[3]結婚のあと夫が妻の家に居住する母方居住制、[4]男性に対して女性の優越的地位などが考えられている。したがって包括的な母権制という用語よりも、母系制という概念が適切であるとする説が支配的である。

【母権制理論の発展】バッハォーフェンの母権論の理論は、古典の断片的な記述や神話伝承にもとづくものであった。ところがアメリカの民族学者モルガンは『人類の血縁と姻族の諸体系』(1871)を初め、総括的にまとめた名著『古代社会』(1877)で、北米インディアンの民族学的資料により、婚姻の歴史的発展について、まず世代に関係なく無差別に交わる原始乱交の時代を想定し、つづく集団婚では、同世代間の集団婚と、兄弟姉妹婚を禁じた集団婚、つまり兄弟たちがそれぞれの妻を共有し、姉妹たちがそれぞれの夫を共有するプナルア婚をあげ、それらでは血縁関係が母系的出自によるものと考えた。そして対偶家族をへて一夫一婦制に移ったと述べた。バッハォーフェンの理論を実証的に裏づけたモルガンの学説は多くの支持を受け、なかでも史的唯物論の立場からモルガンの資料を種本にしたエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(1884)は有名である。そして人類社会史の発展において、父権制の前に母権制社会を必然的にたどったとする進化論的理論が一世を風靡した。

【原始母権制への反論】こうした潮流のなかで、最初に母権制説に反論を試みたのはウェスタマークの『人類婚姻史』(1891)である。彼は類人猿の性生活を例証にして、家父長的な一夫一婦制が原始から存し、母系制社会の民族でも家父長的な関係がみられることを述べ、原始乱交集団婚を否定した。またクノーも『オーストラリア=ネグロの親族組織』(1894)で原始一夫一婦制を主張し、しかも血縁関係が母子関係のみでなく父子関係もたどる双系制について述べた。そしてグローセも『家族の形態と経済形態』(1896)で、母権制の経済的基盤が未開農耕にあることを明らかにした。それらの説を受けてシュミットは『人類発展史』(1910)で、原始一夫一婦制のもとにおける双系制が母権制に先行することと、男子の狩猟や牧畜による家父長的な社会のあと、女性による農耕の開始、すなわち未開農耕文化の段階で母権が発生することを論じた。こうして原始乱交集団婚説が崩壊したが、そうしたなかでもブリフォートは大著『母性論』(1927)で、原始一夫一婦制を否定して原始集団婚の存在したことを主張した。

【母系制社会】母権ないし母系制は母方居住制が必須の条件である。その母方居住制の社会では、生産面における男女の性的分業で、女性が労働力となる農耕において、妻方の共同体が女性の労働力と土地所有権を確保しようとしたことによる。そのため一般に母系制は採集狩猟や遊牧民ではみられず、農耕文化でも穀物栽培の地域で認められる。しかし母系制社会には、財産の継承は女性にありながら、運営権は母の兄弟が管理するなど、多くの矛盾を含んでいる。

〔参考文献〕江守五夫『母権と父権』1973、弘文堂

大林太良『東南アジア大陸諸民族の親族組織』1978、ぺりかん社


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