●冒頓単于 ぼくとつぜんう
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?〜前174 騎馬民族匈奴の単于(王)。父の頭曼単于を謀殺して単于となり,東モンゴルに勢力を張っていた東胡を征服し,次いで甘粛地方の月氏を追ってモンゴル高原に大遊牧民族国家をうちたてた。このころ,劉邦が前漢王朝を建てていたので,中国の西北辺境で匈奴と漢が対立することとなった。漢王朝は長城によって侵入を防いだが,冒頓単于は長城を越えて侵入し,自ら兵を率い迎撃した劉邦を平城(山西省大同県)で包囲し撃破し長安に逃帰せしめた。その後,漢帝国の北辺を侵し続けたので,劉邦は前198年に和議を講じ,公主(漢王室の女)を単于の妻とすることや歳貢を贈ることを約した。この約により冒頓単于は中国への侵入を止め,中央アジア経略に乗り出し,東西貿易路の要衝を押さえ,東北アジアにおいて匈奴の全盛時代をつくりあげた。