50音順    検 索

●朴泳孝 ぼくえいこう

アジア アジア AD1861 

 1861〜1939 李氏朝鮮末期の開化派政治家。金玉均らとともに開化党の指導者としてブルジョワ改革運動の先駆的役割を果たした。判書・領議政朴元陽の子として京畿道水原に生まれ,13歳で哲宗の女婿となり錦陵尉を拝した。劉大致を中心とする開化党に加わり,壬午軍乱後の1882年9月修信使として日本に派遣され翌年1月帰国した。1883年漢城判尹・広州留守を歴任し開化策による首都行政や新式軍隊の養成に着手するが,事大党との対立により失敗する。1884年甲申事変で新政府の前後営使兼左捕将となるが,清軍の圧力で政変に失敗し金玉均らと日本に亡命し,1885年一時渡米したが再び日本にもどり山崎永春と改名し親隣義塾を経営する。1894年日清戦争勃発とともに帰国し金宏集内閣の内部大臣となるが,政争に敗れて再度日本に亡命する。1907年帰国して李完用内閣の宮内大臣となるが,丁未政変後,任を解かれ済州島へ一年間流刑に処せられた。日韓併合後,日本政府から侯爵に叙され中枢院顧問官を経て貴族院議員となった。

〔参考文献〕姜在彦『朝鮮近代史研究』1970,日本評論社