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●募役法 ぼえきほう

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【趣旨と制定】中国で,大きな苦痛を与えてきた差役法の弊害から農民を解放するため,義務的な労働から免れさせ,代わりに戸等に応じて免役銭(官戸等からは助役銭)を出させ,これを基金にして自由労働者を庸って賃金を払い公共の仕事をさせた。自由労働者を募集して役をさせたから募役法,また役を免じる代わりに銭を出させたから免役法とも言う。制定は1069年(煕寧2)ごろ京畿で試行し,1072年(煕寧4)条約を全国的に頒布した。制定には呂恵卿・蘇轍・曽布らが当たったが指導権を発揮したのは曽布であった。

【募役法条約】明確に言える資料はないが,復元すれば,趣旨に関する条文約14条.募法に関する条文5条.免役銭の算出に関する条文3条.免役銭の納入に関する条文4条.寛剰銭・頭子銭に関する条文5条.罰則に関する条文3条ぐらいである。

【問題点】募役法には多くの論難が出た。4人以上の旧法党人が指摘した批判は次の五つである。[1]軍員・浮浪人をやとって官のことを任せるのは不可。[2]上等戸に便で下等戸に不便。[3]農民は銭を持たないから免役銭を徴収するのは不可。[4]免役銭算出の基準が不合理。[5]運営担当官が故意に免役銭を徴収する。批判に対する当事者の弁明。[1]差役法時代も雇人に官物を司らせたり治安に当たらせた。[2]差役法時代も下等戸を壮丁に使った。今は免役銭も徴していない。[3]二つとも当時の経済発展段階の認識にかかわる問題であろう。[4]もっともな批判で結局,方田均税法などの抜本的政策を促す指摘である。[5]これも抜本的解決策を求める指摘である。

【非難の出処と本法の評価】もっともな批判もあるが,批判の原因はそれまで差役を免かれていた官戸階級らに新しく助役銭を出させたことにある。蘇轍は元祐の初め,募役法を批判したことを反省し経費節約に成果があったと言明している。

〔参考文献〕曽我部静雄『宋代財政史』

東一夫『王安石新法の研究』1970,風間書房

東一夫『王安石事典』1980,国書刊行会