●方臘の乱 ほうろうのらん
アジア 中華人民共和国 AD1120 北宋
?〜1121(永楽2,宋暦宣和3)中国北宋末の農民反乱の指導者。睦州青渓県(浙江省淳安県)は,漆・楮(こうぞ)・松・杉などの林産資源で潤っていた。北宋末の混乱に乗じてシュメン※注1※なるものは南方の珍木奇石を徴発して徽宗に献上した。これを花石綱という。これに不満な当地の漆園経営者方臘は,宋の軍隊が遼との戦争に備えている隙をつき,1120年(宣和2)10月,「邪教」(マニ教と言われる)の徒を駆り集めて蜂起し,年号を建て文武百官を設けた。彼は「宋朝は我々から収奪したものを遼や金に貢いでいる」といって不満を衆に訴えたので多数の貧民や遊民が傘下に集まった。反乱軍は急激にふくれあがり,その攻略した地域は6州52県(13州53県とも言う)に及んだ。これに対し政府軍の童貫は,遼に備えた軍隊を南下させ,翌年4月方を捕えた。宋朝は花石綱をやめ種々救済策を施して回復をはかったが,これによって受けた打撃は大きく6年後に南遷した。なお最近,方臘傭工説,「邪教」はマニ教ではないとの説が出されている。
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