●封土 ほうど
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封土とは,中国で生まれた二つの体制概念(郡県制と封建制)のうち,後者に基づいて生じたことばであって,諸侯に国土を分封したその土地を意味する。日本では,徳川時代に将軍より分与された諸大名領を封土と呼んだ。徳川期の大名領は,太閣検地に基づく石高制によって算定されており,その石高に応じた軍役を負担する義務を負っていた。山口啓二の算定によれば,17世紀末の時点における日本の総石高は2,754万石であったが,それは次のような封土に分割されていた。将軍直轄領・家門領・旗本領は合わせて860万石(33.5%),これに御三家145万石(5.6%)・譜代大名600万石(23.2%)を合わせると,将軍勢力は全土の62.3%を支配しており,加賀100万石,前田を筆頭とする外様大名923万石(35.9%)を圧倒しており,公卿領を合わせても天皇勢力の所領は10万石前後であった。近世の天皇の凋落ぶりを象徴している。