●方田均税法 ほうでんきんぜいほう
アジア 中華人民共和国 AD1072 北宋
中国の王安石新法の一つ。1072年(煕寧5)8月,社会・経済面に関する新法としては最後に施行された土地制度。【意味と制定の由来】仁宋朝北辺地帯に行われた千歩方田法を参考にし,その欠点を修正して考案された。農民の所有田土を再測量して税額を公正にする目的があったが,もっと広い背景としては,諸新法の基礎になっている戸等が不公平であったからこれを是正する必要に迫られていたという事実があった。時間的に遅れたが論理的には真先に施されるべき性格をもっている。したがって諸新法の要となる制度であった。千歩方田法をモデルにしたとはいえ,王安石には井田制・均田制などへの憧れもあった。しかし当時の経済発展事情を考慮して土地私有制を前提とする本法が制定された。
【条約と関係機構】[1]測量に関する条文,[2]均税に関する条文[3]納税に関する条文,[4]施行順序・機構に関する条文などがあり,全部で26条から成っている。とくに注意すべき点は民意を多く取り入れることで,それは測量法や機構についての条文などによく表れている。たとえば機構では測量に民間人を起用すること,諸帳簿も民の閲覧を許し民意を聴き入れるようになっている。
【経過と成績】新旧両党の交代と運命を共にしているが,王安石の政権時代には北辺地区に施行され,徽宗の新法党時代には華南でも施行された。成績は王安石健在の元豊末年までに一府七路だけでそれまでの漏税の田土を約248万項以上を籍にしており,また徽宗朝では税額が最も不均であった江西省瑞金地方の均税に成果を上げている(ここは毛沢東がはじめてソヴィエト政権を立てた地であることに注意)。なお新法には相互間の関連性という性格があるが,戸等是正という点で本法はその関係を最終的によく示している。
〔参考文献〕岡藤吉之「北宋に於ける方田均税法の施行過程」日本学士院紀要10―2・3
東一夫『王安石新法の研究』1970,風間書房