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●北条泰時 ほうじょうやすとき

アジア 日本 AD1183 鎌倉時代

 1183〜1242(寿永2〜仁治3)鎌倉中期の武将。鎌倉幕府3代の執権。義時の嫡男,母は比企の娘,時氏・時実の父,幼名金剛九。1201年(建仁1)頼時を泰時と改めた。1213年(建保1)和田義盛の乱鎮圧の功によって駿河守に任じられた。1221年(承久3)武蔵守のとき承久の乱の際には西上軍の将として京に入って戦後の処理にあたり初代六波羅探題となった。1225年(元仁2)父義時の死によって執権を継ぎ,尾藤景綱をして家令とした。1225年(嘉禄1)幕府に評定衆を置いて幕政を合議制とした。1226年(嘉禄2)九条頼経の将軍宣下に伴い,これに頼家の娘を嫁がせその夫人とした。このころ諸国に凶作が続いたために倹約の賑恤に尽し,1232年(貞永1)『関東成敗式目』を定めて幕府の施行方針を明らかにし,また鎌倉に源光行を招いて和歌所・学問所を置いた。1242年(仁治3)に没した。享年59歳。墓は大船常楽寺。