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●北条時頼 ほうじょうときより

アジア 日本 AD1227 鎌倉時代

 1227〜63(安貞1〜弘長3)鎌倉幕府5代執権。相模守。北条泰時の孫,時氏の二男。母は安達景盛の娘(松下禅尼)。幼名戒壽。1246年(寛元4)執権就任とともに,前将軍九条頼経を擁して執権職をうかがう一族の名越光時の陰謀を押さえ,翌年には安達景盛と謀って,幕府草創以来の豪族三浦氏一族を滅亡させた。この事件を宝治合戦と言う。1249年(建長1)相模守となり,幕府裁許の公正敏活化をはかるために新たに引付制度を設置し引付衆を置いた。1252年(建長4)には将軍九条頼嗣を廃して後嵯峨上皇の皇子宗尊親王を将軍として迎えるなど,執権政治の発展・北条氏の権力強化とその独裁体制確立に努力した。深く禅に帰依して,宋より来朝した蘭溪道隆を鎌倉に招いて建長寺の開山とした。1256年(康元1)家督を嫡子時宗に譲り,最明寺に出家して道崇と称したがなお幕政に参与しその公正な政治を称讃された。また民政にも意を用い,そのために諸国巡回して民情を視察したという伝説を生んだ。