●北条重時 ほうじょうしげとき
アジア 日本 AD1198 鎌倉時代
1198〜1261(建久9〜弘長1)鎌倉中期の武将。鎌倉幕府の連署。義時の三男,母は比企朝宗の娘,6代執権長時・業時の父。1198年鎌倉に生まれ,1219年(承久1)22歳のときに小侍所別当となる。翌年修理亮に任じ1230年(寛喜2)3月六波羅探題として上洛以後18年間その職にあった。1247年(宝治1)鎌倉に帰って執権時頼を補佐した。1256年(康元1)3月その職を辞し出家して極楽寺の別業に入った。法名を観覚と称した。またその間1223年(貞応2)駿河守,1237年(嘉禎3)相模守に任じられて従四位下に叙せられた。のち陸奥守となった。そのほか信濃・若狭・和泉国の守護に補せられた。極楽寺に入った重時は内外の典籍を漁して風雅の道に親しんだ。歌は藤原定家の子の冷泉為家に学び『新勅撰和歌集』『風雅和歌集』などに入集した。著書に『極楽寺殿消息』がある。1261年11月3日に没した。64歳。墓は鎌倉極楽寺にある。〔参考文献〕『神奈川県史資料』