●宝治合戦 ほうじかっせん
アジア 日本 AD1247 鎌倉時代
1247年(宝治1)執権北条時頼と三浦泰村が鎌倉で行った合戦。1246年(寛元4)執権となった時頼は,叔父光時(名越氏)が前将軍頼経を押し立てて幕府の実権を握ろうとした陰謀を打ち破り,頼経を京都に送還し光時を出家させて伊豆に流した。1247年,北条泰時の女婿として威をふるっていた泰村以下の三浦氏と,かねてから幕府内の勢力争いを演じていた義景以下の安達氏との間が一触即発の事態を迎えた。このときは時頼の仲裁で一応事は収まったが,三浦氏滅亡をはかる時頼は,評定衆三浦光村が頼経をいただく先の陰謀に加担していたことを理由に泰村らに戦をしかけ,外祖父である安達景盛父子と通じて謀略を尽くし三浦邸に火をかけた。急襲された泰村らは法華堂に退き,一族近親五百余人,打ち揃って自刃して果てた。時頼は幕府内で北条氏と肩を並べる豪族三浦氏を滅ぼし,執権北条氏の独裁体制が確立した。