●方孝孺 ほうこうじゅ
アジア 中華人民共和国 AD1357 元
1357〜1402 明初の儒学者・政治家。寧海(浙江省象山県)の人。字は希直・希古。号は正学・遜志。南明の福王より文正と諡され,1776年(乾隆41)にさらに忠文と追諡された。主著には『侯城雑誠』1巻,『遜志斎集』24巻などがある。1376年(洪武9)に朱子学者の宋濂の門に入り第一の高弟とされた。しばしば太祖洪武帝に召見され漢中府教授となる。蜀の献王に招かれて世子の師となるが,1398年(洪武31),洪武帝の遺命により建文帝に召され,翰林院侍講ついで侍講学士に進み,黄子澄・斉泰とともに建文帝の政治を補佐,周礼に基づく政治改革を行った。靖難の変により建文帝を追い払った永楽帝は,道衍の勧めに従って方孝孺を用いて即位の詔(みことのり)を起草させようとしたが方孝孺は応じず,逆に「燕賊簒位」となじったためついに磔刊に処された。方孝孺に連累して殺される者,一門九族873人に上ったと言われる。