●方言 ほうげん
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地域差から見た各言語のこと。あるいは歴史的分裂によって生じた各地域の言語のこと。フランス語もイタリア語もそれぞれロマンス語の方言であり,またラテン語から分かれた方言でもある。東京といえども,その言語は日本語の一方言である。別の見方をすると,全国共通語がよく普及している現代日本では,全国共通語が改まった場面で使うよそいきのことばであるのに対して,方言はくつろいだ場面で使うふだんのことばである。なお,全国共通語は書きことばでもあるが,方言はふつう文字に書かれることを予想しない言語である。さらに人の一生という観点からすると,生まれて最初に父母・きょうだいなどから学ぶことになる言語は方言で,全国共通語はテレビ・ラジオ,さらに義務教育を受けるようになってから学ぶ言語である。俗に地方の珍しいことば・変わったことばを「方言」と言うが,これはここでいう方言の一部分であり,これをとくに「俚言」ということがある。ここでいう方言は,地域または地域社会で使われていることばの総体,すなわち体系としての言語である。青森では「雨一般」はアメとしか言いようがないから,アメは青森方言(の一部分)でもある。たまたま全国共通語と共通の語形をもっているというにすぎない。【方言と全国共通語】方言と全国共通語を比べると,方言は通用する地域が狭いことと地域社会内部のコミュニケーションの手段にすぎないこと,また,書きことばのように格式ある言語ではないことから,「きたないことば」「人前で使ってはいけないことば」という評価を受けた。とくに明治30年代に,富国強兵の国家政策上,方言は国の言語統一に障害となるという考えから「方言撲滅論」が唱えられ敗戦時まで続いた。しかし,方言は自分では選べないという点において自分で自分の母親を選べなかったのと同じで,いい悪いの評価を超えたものである。敗戦後の方言消滅は,近代日本の工業化に対する自然破壊に引き当てて考えることができる。方言消滅が進行すればするほど方言の復権が叫ばれ,演芸などにおける方言の利用が盛んになり,各地に方言保存会が生まれる。
いわば汚れてしまった「方言」という用語を「地域語」にとり替えようという主張(木下順二)も方言復権の一つの努力である。しかし方言の定義からしても,地域差がなくならない限り方言が絶滅することはあり得ない。現代の方言消滅は,江戸時代からの古い方言が急速に大量に姿を消しつつあるということで,代わりに方言自体の変化もあり新しい方言も生まれつつある。
東京でニューバイがツユになり,ムギユがムギチャに変わったのは,関西方言の借用による方言自体の変化である。大阪で東京のミドリノオバサンをキイロイママサンと言い,東京のユーリョーチューシャジョーをモータープールと言うのは,新しい大阪方言の誕生による。方言ができるのは,住んでいる土地が互いに隔たっていて,相互のコミュニケーションが途絶えがちになるためである。しかし,大きな自然的障害があっても方言境界になるとは限らない。富士山は方言境界として働かず,むしろ富士川がそれに代わる。また,人為的障害も方言境界になるとは限らない。東京都と埼玉県を分かつ行政区画は方言境界としてほとんど無意味である。
【方言の分類】日本の方言は,奄美・沖縄諸島の琉球方言とそのほかの本土方言に二分される。この両方言の差はドイツ語とオランダ語の差よりも大きい。また琉球方言には書きことばとしての琉球共通語があり,琉歌をはじめとする文芸があり現に生きている。本土方言は,関西を中心とする西部方言と東京を中心とする東部方言とに分かれる。しかし,この両方言の差は互いに通じないほどではない。西部方言は,一千年に及ぶ首府の所在地域の言語であり,かつて全国共通語として多くの文献を残している言語で,現在も書きことばとして生きている部分がある。東部方言は,現在の首府の所在地域の言語である。首都東京には日本語人口の10%以上が住み,東京方言および東京方言を基盤とする全国共通語の話し手は1千万人を超える。
〔参考文献〕柴田武『日本の方言』1964,岩波新書