●法学 ほうがく
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法学とは,法を対象とする学問を言う。ただこの場合に対象となる法というのは,単に制定法としての法令ばかりでなく法に関係のある現象や行動を含む。たとえば制定法としての憲法そのものはもちろんだが,憲法に規定された基本的人権がどのように尊重されているかも法学の対象となる。刑法という制定法ばかりでなく,刑法に規定された殺人という犯罪や徴役という刑罰の執行状況を考察するのも法学の任務である。 法学の中心をなすのは制定法の解釈である。法解釈学あるいは解釈法学と言われるのがこれである。これを狭義の法学と呼ぶこともできよう。しかし広義の法学はこれに限定されない。立法論もまた法学の重要な課題であるし,法哲学・法史学・比較法学・法社会学・法政策学はもちろん,法人類学・裁判心理学など,自然科学方法論を部分的に包摂したものもこれに含まれる。これら法学を構成する学問分野は,別の見方からすると,法哲学・法史学・比較法学のように,法や法現象を理論的認識の対象とする理論法学と,解釈法学や法政策学のように,具体的事件の解決に奉仕する実践法学とに分かれる。【法の解釈】法学の中心的な任務は,法の解釈である。法の解釈というと,制定法の文字の国語学的解釈を意味するように思われるが,決してそのように単純なものではない。法の解釈の基本は,確かに制定法の文字の国語学的解釈である。これを文理解釈という。この文理解釈に対しては論理解釈というのがある。文字の国語学的解釈からは外れるけれども,その条文の設けられた趣旨・目的からして当然その条文が予定したと考えられるものを確定するのが論理解釈である。これには,国語学的解釈の範囲を拡大する拡張解釈,これを逆に縮小する縮小解釈があり,また当然解釈(もちろん解釈ともいう)・反対解釈・目的論的解釈などがその内容をなす。このように,法の解釈に論理解釈が必要なのは,制定法には常に法の欠陥が生じるからである。人間は全知全能ではないから同種のすべての事項を予想することができないし,仮に予想できたとしてもそれらをすべて洩れなく包摂する用語をもっていない。したがって,制定法は立法の当初から欠陥を含むのである。しかも,仮に立法の当初はすべての事項を予想しこれを一つの用語で包摂し得たとしても,社会生活は常に変化するから,立法の当初予想しなかった新しい同種のものが登場し従来の用語ではそれが包括できなくなるような事態は,つねに起こり得る。
このような法の欠陥を埋める方法は二つある。第1は,新たな立法によるという方法である。本来理論的にはこの方法によるのが望ましいのであるが,朝令暮改にはそれ相応の欠点があるし,また立法的解決によってもどのみち完結した法の体系を示すことはできない。とすれば残るのは法の解釈によって法の欠陥を埋める方法であって,ここに法の解釈の期待される根拠がある。法の解釈は,元来法の適用という実践的課題を担った行為である。法は人間の争いごとつまり利益と利益の衝突に対し,どちらがどれだけ正しいか,したがって正しくない方は正しい方に対して何をしなければならないかを示す基準である。法は,元来適用されるべき事実を前提にしていると言ってよい。そこで,法の解釈は,ある特定の事件に対し特定の条文を適用し得るかどうかを明らかにするための行為だということになる。このことから,いくつかのことが法の解釈に対して要請される。第1は,法の解釈は体系的でなければならないということである。ある事件に対してある条文を適用しある法効果を生じさせた場合には,公平の観点から,同種の事件についてはつねに同じ取り扱いをしなければならないので,そのようなことがあっても差支えないかどうかをあらかじめ考えておかなくてはならない。もっとも,同種の事件でも同じ条文を適用しなくてもよい理由が成り立つような異同が存在する場合には,それへの適用を予定しなくてよいことは言うまでもない。法の解釈は,そのような種々の場合をすべて体系的に予定した上で,ある事件に対しある条文を適用することを肯定するのでなければならない。
第2は,法の解釈は説得力をもたなければならないということである。法の解釈が文理解釈である場合には,誰でもが納得するからとりたてて説得力をいう必要はない。しかし,文理解釈を超えた論理解釈の場合には,何故そのように解釈するのかの理由を当事者を含めた社会一般の人々に納得してもらわなければならない。法の解釈には客観性がつねに議論されるが,解釈者が“自分は正しいと思う”と考えるだけでよいという意味での主観性で足りないことは言うまでもない。100パーセントの説得力を客観性と言うならば,それが理想にはかならない。
【解釈法学と法の諸科学】法の解釈を純化して一切のイデオロギーや政策を除外し,実定法規範の純枠に論理的な体系的把握に限定する理論もないではない(ドイツ普通法学や近時の純粋法学)。しかし,前述のように法の解釈は法の適用を予定した実践的課題を追究するものであるから,一般にはこのような理論は否定されている。解釈法学は,他の法の諸科学の助けを借りなければならないし,むしろそういった諸科学の成果はもちろん,諸科学そのものを部分的に混入させていると言って差し支えないであろう。
比較法学や法史学は,法の発展を一は横の広がりにおいて,他は縦の系列において考察したものであり,比較文化学・史学の一分野として,その範囲内の他の研究を助けるという側面をもつ。しかしそれらは同時に,法の現状認識や将来あるべき法の探求の予備作業として重要である。個々の法の解釈や,解釈学的体系の構築,さらには立法論の展開にあたって,比較法学的・法史学的考察をしなければならない事態はしばしばある。
法哲学は,法の哲学的基礎を確立する上に必要不可欠と言わねばならない。たとえば国家機関による刑罰権行使の状況を分析しその将来を予見する場合,マルクス主義法学への立場決定がなければ,他人と論争することができないだろう。法の論理解釈を展開する場合,自然法論と法実証主義との論争を知った上でするかしないかでは,立場決定の迫力に違いが出てくるだろう。法の解釈は,解釈者の人生観に裏打ちされたものでなければならないが,人生観と解釈との間を仲介するのがこの法哲学に他ならない。
法社会学が法解釈学とどのように関係するかは,戦後激しく議論された。法社会学は,法と関係する事実を社会学的方法によって探求することを本質としている。したがって,あるべき法という当為を求める解釈法学とは方法を全然異にする。それぞれが独立した学問分野だという見方は一応可能であろう。しかし,両者の異同の問題には,もう少しイデオロギー的なものが含まれている。わが国における法社会学は,どちらかと言うとマルクス主義法学と結合し,その立場からの歴史的発展法則を明らかにするという目的をもって,それに都合のよい特定の法現象を事実として探求するという手法が用いられた。それはそれで有意義なことであるが,法社会学は必ずしもそのような目的のもとに展開されねばならないものではないだろう。法社会学と法解釈学とは別個な学問でありつつ,機能的に相互協力することは十分に可能である。
【法学の系譜】法学の歴史がどこまでさかのぼるかは,必ずしも明らかでない。ローマ文化の原型がすでにエジプトにあったことは一般的には言えるようであり,しかもエジプトにかなりの水準の法律制度が形成されていたことは遺跡などから推測することができるが,固有の意味における法学が発達していたかどうかは明らかになっていない。ギリシアでは哲学が大いに発達したし,そのなかには正義論も展開されているから,少なくとも法哲学の歴史はそこまでさかのぼると言うべきであろう。しかし,法解釈学を中心とした体系的な学問としての法学は,やはりローマに始まると見てよいようである。
【ローマ法学】ローマにおける法学の発展は,共和政の時代に法務官の法律適用の背後に法学者の指針が必要であり,法律事件に関して意見・解答を与えることが職業として成り立っていたところに求めることができる。法務官の鑑定依頼や諮問に応じることが法学者の職務とされ,解答を作るに際して問題の解決法を学生に聴講させるという形で,すでに法学教育すら行われていたのであった。
帝政期に入ると,元老院の議決が皇帝の勅法とともに法律の効力をもつに至ったが,これらを作成するため皇帝のもとに諮問会があり,議決の原案を作成するのはそれに属する法学者であった。〈ローマ法建設の功績は,正しく法学者に帰せしめなければならない〉(原田慶吉『ローマ法』16頁)。
古典時代後期は法学が最も興隆した時期であり,ポンポニウス・ガイウス・ウルピニアヌスなど高名な法学者が大活躍をした。これらの法学者は,理論家というよりもむしろ実際家であり,具体的な事件のもつ特徴をどこまでも突き詰めて,それに適合した法的解釈を与えようとするところにその思考の特色があった。したがって,人とか法律行為というような抽象的な概念をもつことを極力避け,概念を設定したとしても定義を与えることを嫌っていた。そこに,ギリシアとローマの決定的な違いがあり,ローマ法の実践的な性格が遺憾なく発揮されているのを見る。ローマ法がとりわけ私法の分野で大いに発展したのも,そのようなイタリア人の実利的な民族性を表しているとも言えよう。
【中世のカソリック的自然法論】ヨーロッパ中世の精神生活は,その多くがカソリックの信仰と教会の世俗的支配に帰着する。法学の分野でも,神学と深くかかわり合って発達したのが当時の状況であった。中世における法学を考える場合に出発点をなすのは,ローマ帝国末期の人ではあるが,中世全体を貫いて強い思想的影響を与えたアウグスティヌスと,中世思想を集大成したトマス=アキナスの理論であった。
アウグスティヌスとトマス=アキナスに共通しているのは,人定法・自然法・永遠法の三者を一応区別しつつ,結果としてその三者の結合を説くところにあった。アウグスティヌスによれば,個々の人間は理性的存在として神から種子的理性を授けられているから,自然法の自覚的な認識を通じて永遠法に参与できる。しかし,有限の存在者である人間は,神の恩寵である神的照明の助けによって初めて自然法や永遠法を認識できるとされる。トマス=アキナスも,宇宙におけるすべての事物は,自らに刻み込まれた神の理性としての永遠法を分有している。理性的被造物としての人間における永遠法の分有が自然法に他ならない。そして,完全な共同社会を支配する君主における実践理性の命令すなわち人定法は,この自然法から導き出されたものでなければならないとする。
このようなアウグスティヌス・トマス=アキナスの法理論が,実定法の上にあってそれを指導するところの理念的な法の存在を認めるいわゆる自然法論であることは,その説明からも明らかだろう。このような考えは,中世のヨーロッパを貫く法思想であったし,カソリックの世界では現在もなお妥当するものと考えられている。
【近世初頭の合理主義的自然法論】中世から近世への転換を特徴づけたのは,神の権威からの人間の復興であり,その場合に重要な役割を演じたのが,人間独自の感情であり理性であった。イタリアで花開いたルネッサンスでは,神から独立したとらわれない人間の感情が生き生きと表現されたが,哲学や思想の世界では,むしろその理性が強調されたのである。近世初頭の法学も,まさにその流れに棹さすのであって,人定法の上に自然法を認めるとしても,それは神から派生するのでなく人間独自の理性によって認識さるべき自然法なのであった。これら近世初頭を特徴づけた合理主義的自然法論は,どちらかというと北欧からイギリスにかけての学者によって唱えられた。最初の学者はオランダのグローチウスであり,次いでこれを担ったのは,ベーコン・ホッブス・ロックらの,いわゆるイギリス経験論の学者たちであった。これらの学者に共通なのは,まず人間の自然状態を思い描きそのなかで妥当する自然法ないし自然権について論じた後,社会契約を通して統活権力設定契約を導き出してくるところにある。このような近世初頭の合理主義的自然法論は,その後の法学や社会思想に大きな影響を与え,とくにヨーロッパでは18世紀の啓蒙思想に結実してフランス革命を導き出したのであった。基本的人権の思想とか,契約自由の原則・個人責任の原理・罪刑法定主義といった近代法上の基本原則は,すべてこれらの思想から生まれ出たのであって,その意味で現代はなお近世に属すると言えよう。
【ドイツ観念論哲学と法学】デカルトやスピノザ・グローチウスなどによって展開された近世合理主義は,その後のヨーロッパの経済的・政治的情勢の変化に即応し,また自然科学的知識の発展を反映しながら,やがてカントの批判哲学へと結集していく。カントのめざしたものは,空間と時間の中に生起し存在する自然現象を認識し判断する,人間の精神作用を限界に至るまで追究することであった。カントは哲学者であり,法学者ではなかったから,広範な法学の体系が語られたわけではなかったが,その法理論のなかに,理性の力を極限まで突き詰めた場合の法の理解が現れてくるという意味で興味深い。カントは言う。ある行為を義務とする場合に,その動機を問うのが道徳でありそれを問わないのが法律である。動機が何であろうとある行為と法則とが合致した場合これを合法性と言う。これに対し,法則から生じる義務の観念が同時に行為の動機である場合,これを道徳性と言う,と。このようにしてカントは法と道徳とを唆別したが,これは彼が法の任務を“他人の自由との調和”を破るような行為の抑制だけに限定する自由主義国家観を基本としていたからに他ならない。その意味でカントもやはり時代の子であった。
これに対し,ヘーゲルの法理論は弁証法的方法によって貫かれている。即自的存在から対自的存在を経て即対自的存在に至る弁証方的発展は,法の世界では,抽象的権利から道徳へそして人倫へという三段階をとって現れ,この人倫も,第一段階では家族において,第二段階は市民社会において,そして最後の第三段階では国家において完全な自己実現の姿をとる。国家は全体と部分の調和であり社会と個人との合致であり,まさに人倫の最高の姿だと考えられるのである。このようなヘーゲルの法理論では,カントにおいて峻別された法と道徳とは再び合一され,カントの自由主義国家観とは異なる国家至上主義が展開されたのであった。ここにも,ドイツの統一が切望された時代の影響を見ることができるのかもしれない。なお,カントとヘーゲルの理論は,後に20世紀に入ってからそれぞれ新カント学派・新ヘーゲル学派に装いを替えて復活した。とりわけ存在と当為とをカント以上に峻別する新カント学派の手法を応用した理想主義法学が,シュタムラーやラスクらの手によって唱導され,現在なお刑法学の分野などに痕跡を留めていることを付記しておこう。
【法実証主義】ローマ法の継受はドイツに普通法をもたらし,ローマ法の註釈を中心とする普通法学を生み出したが,それは概念操作の積み重ねによる精緻な理論体系の構築に終始するところがあった。とりわけ,19世紀におけるそのような方法をパンデクテン法学と言う。このような幾何学的な推論に等しい方法を法実証主義と言い,ドイツ普通法学の伝統はそのようなところにあった。もちろんこれに対しては,自然法思想や後述する歴史法学派,自由法論などの批判が向けられたが,法実証主義もまた姿を変え形を変えて法学の歴史の表面に登場し続けたと言ってよいであろう。
法実証主義の最たるものは,ケルゼンの提唱になる純粋法学である。彼は存在と当為を峻別し,法学の任務を後者に限定することによって社会学的方法の導入を拒否し,専ら実定法規範の純粋な体系的把握を志したのであった。そこでは没価値理論が説かれ,イデオロギーや政策の混入さえ厳しく拒否されたのである。法実証主義は,法学の歴史において一つの学派として存在したものであるが,法的思考の一つの型であることは疑いがない。現在では極端な法実証主義は排斥され,歴史的社会的考察の必要が強調されているが,論理操作による体系構築の側面がまったく否定されることは法学の本質上あり得ないことである。
【歴史法学派】近代自然法思想も,またドイツ観念論哲学も人間を理性人として一般化する傾向にあるのに対し,19世紀の前半,法は民族共同体の確信であると説いてドイツ歴史法学派の開祖となったのは,ザビニーであった。彼によれば,法は言語と同じく民族に固有の性格をもつものであり,民族とともに成長し,自己を形成し,最後に民族がその特質を失うに至って死滅するものであるとされる。サビニーの主張は,ナポレオンの圧政から解放されたヨーロッパを風靡したロマン主義の一つの表れであって,それだけに国民の胸を打つものを含んでいたが,それだけに法学方法論としては限界があった。19世紀後半の法学者イェーリングは,歴史法学派から出発しつつ,法が単に民族精神の発露として没目的的に生成するにすぎないとする見解にあきたらず,法の成立発展の決定的な要因をなすのは歴史的に生成してきた現代の社会的実際的目的への奉仕だとするいわゆる目的法学を形成し,現代法学の諸潮流に直接間接の影響を残したのであった。
【マルクス主義法学】人間の意識が存在のあり方を決定するのではなく,逆に存在のあり方が意識を決定する。法や政治が経済を動かすのではなく,逆に経済が法や政治を動かす。国家や法は支配階級であるブルジョア階級の支配の道具であるとして,19世紀の半ば,独特な唯物史観と共産主義革命理論をひっさげて衝撃的に近代思想史に登場したのは,マルクスであった。このマルクスの唯物史観からは,当然独特の法学方法論が派生することとなる。
マルクス主義の根幹は,人間はそれぞれの生産諸力の発展段階に応じた生産関係を必然的に結ぶものであり,その社会の経済機構の上に,国家・法律・政治といった上部構造がそびえ立ち,人間の意識までがそれに対応するという考えである。これによれば,法もまた上部構造の一環として,下部構造たる経済機構の運動法則によりその制定の可否や内容が決定されることになるのであって,ここから,法はその時々の生産関係のなかにおける,被支配階級に対する支配階級の支配の道具となるという,法の階級性の思想が形成される。
マルクス主義法学は,わが国でも戦前から説かれていたが,昭和に入ってから徹底的に抑圧され,戦後に至って一斉に再び開花した。これに対する評価はマルクス主義そのものへの評価と消長を共にし,理論法学の世界では,なお一方の拠点を形成している。
【現代法学の諸潮流】現代法学の潮流は多元的である。戦後のドイツでは,ナチス時代の圧政に抵抗する形で自然法論が復興し,その名残は今なお跡を留めている。法実証主義に対抗して違法・適法の基準を実質的な側面に求めようとする現在の多くの学説は,利益の比較衡量を重視する傾向にある。一方,新カント学派に依拠して存在と当為を峻別する理論は,たとえば刑法学の一つの流れとして存続していると見ることもできよう。さらに,法実証主義の一派をなしたオースチンの分析哲学の流れを汲む分析法哲学が,ハートなどを媒介としてわが国でも支持者を得ている。また,最近では法学への社会学の影響も顕著で,パーソンズの機能的構造論や,ルーマンのシステム論などが脚光を浴びている。