●放下 ほうか
アジア 日本 AD
中世から近世初頭にかけて行われた大道芸。僧形や喝食(かっしき)の姿をし,下級宗教者として説経(せっきょう)をし,曲舞(くせまい)・羯鼓(かっこ)打ちなどの芸を見せた者や,烏帽子姿で,背に恋歌などの短冊をつけた笹竹を負い,バラッド風な放下歌をコキリコを打ちつつ歌い,品玉・輪鼓(りゅうこ)・八ツ玉などの曲芸を見せた者などがいた。謡曲『自然居士』には,京都東山雲居(うんご)寺を拠点に鎌倉末期に活躍した前者の放下僧をシテとするが,『職人歌合図』には家々の門や辻々をまわる後者の姿が描かれる。放下の歌った放下歌は室町期の歌謡を集めた『閑吟集』に載るが,のちには風流(ふりゅう)系の太鼓踊の歌に転用され,愛知県南設楽郡一帯や,渥美半島に“放下”の名をもつ太鼓踊りとして伝承。狂言小歌としても残る。江戸時代に入ると,辻放下と称し大道に人を集めて,綾織・枕返し・曲鞠などの曲芸や,山芋を鯰に変える術・絵が雀になる曲などの幻術を演じ,歌舞伎などに伍して小屋掛けも行った。〔参考文献〕盛田嘉徳『中世賤民と雑芸能の研究』1974,雄山閣