●法皇 ほうおう
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太上天皇すなわち上皇が出家すると太上法皇または法皇と言い,〈のりのすべらぎ〉と訓読されている。『類聚三代格』所収の907年(延喜7)の太政官符に宇多上皇を「太上法皇」と呼んでいるのが初見である。平安時代には,上皇となってしばらくして出家した法皇と天皇が崩御直前に譲位して出家した法皇があるが,ともに俗世を離れ宗教生活に入っている。ところが白河天皇は譲位後院政を開始し,さらに1096年(永長1)出家後も受戒を受けることなく院政を続け,その崩御に至るまで堀河・鳥羽・崇徳の三代にわたった。これに続く鳥羽・後白河の両法皇も同様であった。これらはこれまでの法皇と性格を異にし,法皇が政治を行ったものであった。けだし当時成熟していた王法は仏法と興亡を一にするという王法仏法相関思想を根底とするものであって,さかんに造寺造仏や供養が行われたのである。こののち後嵯峨・後宇多両上皇が法皇となっても院政を行った。