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●ホイットマン

北アメリカ アメリカ合衆国 AD1819 

 1819〜1892 アメリカの詩人。ニューヨーク州ロングアイランドの大工の息子に生まれ,11歳で法律事務所に勤め,1831年新聞の見習い工になり,1841年以後はニューヨークとブルックリンの新聞・雑誌に関係してからジャーナリズム生活に入っていった。1843年ヴァン=ヴューレンが大統領選挙に敗れた際,民主党を批判して党の機関紙『ブルックリン=フリーマン』の職を辞し完全にフリーになった。19歳のころから詩を書き出し,ついに1855年『草の葉』の初版を出しエマーソンの激賞を得,以後彼の詩は死に至るまで全部『草の葉』に収められた。初版に載せた「わたし自身のうた」は彼の最善の詩となった。「わたし」は自在無碍にあらゆる世界に入り込み,自己矛盾しながら最後には虚飾と形式を排してその世界の裸像と向き合う。この精神がその後の彼の詩の原型となった。そのおおらかさが性の表現にも表れ,イメージが露骨になりがちなため後にエマーソンからも忌避されてしまった。その他「果てしなく揺れるゆりかごから」(1859)では楽天主義から一転して,一つがいの鳥に託した愛と死の悲劇が歌われ傑作とされている。南北戦争では従軍中の弟を見舞いに戦場をまわり,そのときの衝撃的な体験が「軍鼓のひびき」(1865)となり,次いでリンカーン大統領の暗殺ではその悲痛な叫びが「先頃ライラックが前庭に咲いたとき」の詩編となり,『草の葉』全作品の頂点に立つ名作となった。その後「めっき時代」の到来とともに社会の堕落を怒り,評論『民主主義展望』(1871)を発表,アメリカの民主主義の実情と未来に痛烈な批判を投げかけた。1873年,母の死と中風の発作によって精神的打撃を受け,以後一線から身を引くことになり実生活の面でも同性愛の噂が立ち不遇だった。ホイットマンはアメリカのピューリタン精神の伝統に敢然として挑戦し,アメリカ固有の生への原点を探し求めて永遠の旅に出た詩人であると言ってよいだろう。