●ヘンリー3世 ヘンリーさんせい
ヨーロッパ 英国 AD1207 プランタジネット朝
1207〜72(在位1216〜72)ジョン王の長子,9歳で即位。幼年時代の政治は,ペムブローク伯ウィリアム=マーシャル,ヒューバート=ド=バーグ,ピーター=ド=ロシュ,パンダルフの4人で運営され,マーシャルの死後はバーグが主導権を握った。1227年,国王は成人を宣言,親政への布石を敷いた。1232年,バーグの失脚後,ロシュと甥リヴォ派が専横を振るったが,1234年,国王は同派を追放し親政を始める。1236年,プロヴァンス伯の娘エリアノールと結婚すると,彼女の母方の親戚や他の外国人貴族を重用した。このような外国人貴族の偏重や大陸領経営への熱中,対仏・対ローマ教皇政策の失敗による国家財政の圧迫は,国内貴族の反抗を招くにいたる。すなわち1258年,シモン=ド=モンフォールを指導者とする貴族の政治改革運動がおこった。それは1260〜64年の闘争,1265年の庶民代表を含む議会の召集をへて,1267年,マールバラウ法制定で終わり,王は貴族との協調体制を受け入れることになる。