●弁証法神学 べんしょうほうしんがく
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第一次世界大戦直後の1920年代に,ドイツおよびスイスにあって,近代プロテスタント神学に対する抗議の声をあげ,20世紀の神学の方向づけに大きな影響を与えた神学運動をさす。弁証法神学の名称は,必ずしもその内容を正確に表現しているとはいえない。危機神学の名称も用いられていた。この運動にたずさわった人々によると,弁証法とは神と人との質的断絶を示すと理解されていた。それは新しい神学の方法を理念化しているのではなく,単に重要な関心事を指示したものにすぎなかった。むしろ,それは神のことばがもつ,人間への危機的・逆説的関係を示すと解しうる。その意味では,神のことばの神学といいかえてもよいものである。また弁証法神学の運動にたずさわった人々は,いわゆる学派を形成して,神学界に足場を築いていったのではない。共通の神学的立場をもったというよりも,共通の神学的意図のもとに協力しあったのである。したがって,参加した人々が各自の神学上の立場を明確にしていくにつれて,独自の道を歩く動きがみえはじめ,1930年代に入ってとくにナチス=ドイツの出現をめぐって,意見の対立が表面化することになった。弁証法神学を代表する人々としては,次の5名があげられる。すなわちカール=バルト(1886〜1968),エミール=ブルンナー(1889〜1966),エドワルト=トゥルナイゼン(1888〜1974),ルドルフ=ブルトマン(1884〜1976),フリードリヒ=ゴーガルテン(1887〜1967)である。バルト,ブルンナー,トゥルナイゼンはスイス人,ブルトマン,ゴーガルテンはドイツ人である。弁証法神学の成立には,第一次世界大戦直後の精神的状況が大きな関連をもっている。19世紀を通じて全ヨーロッパを支配していた,人間の理性的能力への楽観的確信は,世界大戦によって大きな打撃を加えられた。思想界にはそれまですでに表れていた非合理主義への傾向が一段と強まり,これまで省みられなかったニーチェ,ドストエフスキー,キェルケゴールなどが,新しく注目された。とりわけ,彼らに共通していた安易なキリスト教文化への批判,人間性の現実への鋭い分析,世界の悪魔的な非合理性の指摘は,弁証法神学の運動に参加した人々にとって,大きな刺激となっている。加えてキリスト教神学それ自体が,すでに根本的な体質改善が要請される事態に直面していた。近代文化とプロテスタンティズムの総合を形成した文化プロテスタント主義は,いたるところで行きづまり状態を示していた。神学に内容転換を求める声は,神学の内部にも現れてきた。弁証法神学と相前後して現れた二つの動きは,それを示している。一つはルター=ルネサンス,他方は宗教的社会主義であった。要するに弁証法神学においては,神のことばは人間のことばや歴史における行為を通して伝えられるが,しかしそれ自体で必然的に権威をもち,またそれを行使することを強調する。その限りにおいて神と人間との関係は危機的である。この危機的関係にこそ,神学の真理があるとする点で,弁証法神学の人々は共通なものをもったのである。こうした問題意識と関心のもとに,弁証法神学の運動が展開され,機関雑誌“Zwischen den Zeiten”(1922〜33)を中心に活動したのである。しかしながら,この共通項に関する理解の相違が存在することが,しだいに明らかになってくるにいたった。神学が神と人との関係について語る場合に直面する,二つのアクセントがそれであった。すなわち一つは,神から離れてありえないというアクセントであり,他方は人間から離れてありえないというアクセントである。具体的にいえば,前者はあくまでも上からの神のことばに固執し,後者はその人間との接触点を問題にする。前者の道を行こうとしたのはバルトであり,他の人々,ブルンナー,ゴーガルテン,ブルトマンは後者の道を進み,1930年代前半に弁証法神学の運動は,事実上解体したのである。