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●ペロポンネソス同盟 ペロポンネソスどうめい

BC 

 スパルタを盟主とするギリシア最古の攻守同盟。ギリシアでは,ふつう“ラケダイモン人とその同盟者”と呼ばれた。アルゴスなどいくつかのポリスは参加しなかったが,同盟がペロポンネソスのほぼ全域に及んでいたので,現在ではペロポンネソス同盟の名で知られている。前6世紀中ごろの成立と考えられるが,その経緯と時期については異論がある。一説には,前560年ころのスパルタとテゲアの条約に始まって,各ポリスとの個別条約の時期がしばらく続き,前500年の直前に永続的な同盟の組織化がなされたといわれている。しかし,統合の時期をもっと早める説もある。同盟参加の事情はポリスによって異なるが,コリントスなどは自発的に参加した。前520年ころのメガラとアイギナの加盟は,アテナイとの競合がその一因であろう。前5世紀のデロス同盟と比較すると,同盟の組織は穏やかで,加盟国に対する拘束力の弱さが目立つ。一つには,同盟の目的が共同の戦争行為の統制だけであったことによる。他方,コリントスなどの擁する海軍は戦略上きわめて重要で,スパルタもそれらのポリスの意向を無視できなかった。前507年の出来事は,このことを実証する。この年,スパルタ王クレオメネスは,アテナイ攻撃を企てたが,コリントスの反対にあって断念せざるをえなかった。こののち,同盟軍の出動は同盟会議での全加盟国の投票による開戦決議をへてなされることとなった。スパルタが会議を召集し主宰した。加盟国には平等に1票ずつが与えられたが,スパルタは票決に加わらなかった。決議は全加盟国を拘束し,同盟軍を派遣し,戦費を分担した。統率権はスパルタにあり,開戦動議が否決された場合でも,同盟の支援が必要でなければ,提案国は独自に戦争をすることができた。平時には税の徴収は行われなかった。また加盟国同士の戦争も黙認された。時折スパルタは仲裁を試みたが,あまり成功しなかった。それゆえ敗戦国は,たとえば前5世紀中ごろのコリントスとメガラの領土争いに敗れたメガラが,アテナイの保護を求めたように,容易に同盟を離脱したのである。しかし,それにもかかわらず同盟はスパルタがギリシアに覇を唱えるための有効な手段であり,前5世紀を通じてアテナイとの対立にスパルタを支援しつづけた。逆に,コリントスとメガラの強硬姿勢がペロポンネソス戦争を引き起こした前431年と,ニキアスの和約を受け入れたスパルタから両国が離反し,その機に乗じて,エリスとマンティネイアが独立運動に走った前421年は,スパルタにとって大きな危機であった。前404年のアテナイ降伏ののち,スパルタは同盟国間の利害対立を利用して同盟支配を強化し,各ポリスの自治に干渉し,武力で抑圧しようとした。しかし,エリス(前398)やマンティネイア(前384)に対する苛酷な仕打ちは,反スパルタ戦線を力づけることになり,スパルタ帝国が完成をみる前に,前371年のレウクトラの敗戦によって同盟は衰退し,前366年には完全に崩壊したのである。

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