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●ヘロドトス

ヨーロッパ ギリシャ共和国 BC484 

前484ころ〜前430以後 ギリシアの歴史家。

【生涯】小アジア南西部の港町ハリカルナソス(現在トルコ領ボドゥルム)の名門に生まれたが、同地を支配していた僭主リュグダミスとの抗争に失敗して、近くのサモス島に亡命した。のち帰国して僭主政打倒に成功したが、同胞市民と折合わず、再び故郷を去る。前444年に建設されたアテナイの植民市トゥリオイ(南イタリア)の市民となり、ペロポンネソス戦争の勃発後まもなく死亡したらしい。以上の事実は、ビザンティン帝国時代の辞典『スウダ』の「ヘロドトス」の項に記されている。ヘロドトスの著作『歴史』によれば、生涯のあいだにギリシア世界はもちろん、少なくとも北は黒海北岸、南はエジプト南端(現在のアスワン)、東はバビロンなどに及ぶ大旅行を敢行し、各地の地理や習俗や歴史を調査した。そして、この調査結果を集大成して、いわゆるペルシア戦争を、ギリシア民族(ヘレネス)とペルシアを主とする異民族(バルバロイ)との世界史的な大決戦として広大な視野のもとで記述することになった。

【著書の内容】その著作は古代以来『歴史』と呼ばれ、9巻に区分されている。この区分はヘロドトス自身によるものではないが、全体の構成を理解するのにも便利であり、現在ではさらに章も数字で区分されている。第1巻の前半部で小アジアにおけるリュデイア王国の興亡が語られ(6〜94章)、ついで、その背後に成立したペルシア帝国へと話題が移り、以下4代のペルシア王(キュロス、カンビュセス、ダレイオス、クセルクセス)の支配や遠征を中心主題として、歴史を記述していく。それゆえ、ヘロドトスの史書は全体として、形式的にはペルシア史であるが、前半部と後半部とでは、その内容の面で明確な変化が認められる。前半部(第5巻22章まで)では、東方において建国の祖キュロス大王からダレイオス(ダリウス)王にいたるまで、ペルシア帝国がいかに発展し、組織されたかが記されているのに対して、後半部(第5巻23章以下)では、その冒頭で、ダレイオスの支配に対する小アジアのギリシア人(イオニア人を主とする)の反乱を語り、そこから本格的なペルシア戦争の記述へと進んでいき、第6巻でダレイオス王のギリシア遠征、第7〜9巻でクセルクセス王のギリシア遠征が語られる。後半部では、実際上の主人公はペルシア王ではなく、明らかにギリシア民族である。以上のような大筋の途中、いたるところでヘロドトスは脱線して、多様な事柄について説明している。分量にして全体の半分近くが脱線だともいわれている。とりわけ前半部には大きく重要な脱線が多いが、それらは本来、独立の著作であったとみる学説も有力であった。第1巻では、キュロス王に征服された古都バビロンの構造や歴史についての説明(178〜200章)、キュロス王が遠征した北方遊牧民マッサゲタイの風俗習慣の説明(201〜217章)などが重要。第2巻は全部が脱線であって、次のカンビュセス王に征服されたエジプトの地理・風習・歴史が精細に記述されている。第3巻は、カンビュセス王のエジプト攻略から、この王の狂死、そして内紛をへてダレイオス王の即位、帝国再編成について述べられており、脱線は少ない。しかし、第4巻では、ダレイオスのスキタイ遠征に関連して、この北方遊牧民の住地の地理、風俗習慣などを詳述する(5〜82章)。次に、このスキタイ遠征と前後して行われたペルシア軍のリビア(北アフリカ)攻撃と関係して、リビアの地理や歴史や民族について詳述している(145〜199章)。

【評価】ヘロドトスは「歴史学の父」と称され、自発的な研究としての歴史学の創始者である。しかし、その記述は物語の要素が強く、また安易に神託や前兆を信じるなど、批判精神が不徹底であるため、厳格な歴史学の立場からは批判される。しかし彼が記録した事実は膨大なものであって、単にペルシア戦争史の史料としてばかりでなく、初期ギリシア史の史料としても、またエジプト人、スキタイ人など多数の民族についての記録として、絶対的な貴重なものとなっている。

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