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●ベルリン

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD 

 ドイツの都市。1871年のドイツ統一まではプロイセンの首都,それ以後はドイツ帝国の首都であり,現在は東・西ベルリンに分割されているが,東ベルリンは東ドイツ(ドイツ民主共和国)の首都。

【地形】ベルリンはハーフェル川シュプレー川が合流する地点にあり,北西の郊外(現在のテーゲル飛行場付近)にはテーゲル湖があり,南東にはグロスミューゲル湖がある。南はテルトー台地,北東にバルニム台地があり,そのあいだをシュプレー川が流れる。この地形はベルリンを水陸交通の要地として発達させ,ハーフェル運河によってエルベ川と,オーデル=シュプレー運河によってオーデル川と結ばれている。

【発展】1237年,東方植民でできた漁民の町ベルリンとシュプレー川の中州のケルンに都市法が与えられ,1307年,両者が合体してできた。1486年,ホーエンツォレルン家の居城となったが,まだ田舎町の域をでなかった。17世紀になって,フリードリヒ=ヴィルヘルム運河が開かれたが,フリードリヒ2世(大王)の時代になって急速に成長し,人口も10万人程度になった。ベルリンは水陸交通の要地であり,北部のハンブルク,リューベック,ブレーメンのように,中世都市としても開けていたものが近代都市になったものというよりも,北部の都市よりも中央にあったため,ホーエンツォレルン家の統治のための政治都市として発展してきたといってよい。ナポレオンに占領されたことによって,一時衰えたが,1810年にベルリン大学が設置されたころから,学術・文化の中心地にもなってきた。

【第二次世界大戦】第二次世界大戦末期,ベルリンは東からソヴィエト軍,西からアメリカ・イギリス・フランス軍の攻撃を受け,ほぼ完全に破壊された。そればかりでなく,戦後もソヴィエト占領地域のなかに置かれ,ベルリンもソヴィエト・アメリカ・フランス・イギリス地域に分けられた。現在の東・西ベルリンはソ連地域とほかの3国地域との境界が境になっていて,西ベルリンは西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の東ドイツにおける飛地になっている。1948年6月,通貨改革に端を発したソ連による西ベルリンの封鎖は,西ベルリンの市民の食糧や医薬品などの日用品までも欠乏させたが,アメリカの大空輸によって切り抜けた。このことが冷たい戦争をエスカレートさせ,西ベルリン市の発表では,封鎖以後1961年にいたるまでに350万人に達するという東ドイツからの亡命者を防ぐため,東ドイツ側の手によって,1961年8月に東西間の壁がつくられ,今では観光対象にさえなっている。

【現在】東西間題が一つの市のなかで対立した結果,それぞれの地区でベルリンをショーウィンドにする傾向が出てきた。西ベルリンには西ドイツの援助がつぎ込まれ,電気・化学・繊維・各種機械の工業が盛んとなり,クルフュルステンダム街の繁栄は華やかである。ただ,ベルリンの発展が周辺に住居地域ができて,それを吸収して膨張してきた歴史をもっているが,中心部は会社・美術館・官庁が第二次世界大戦以前には並んでいたが,住宅や商店はシャルロッテンブルク地区に移動して,昼間人口は減少している。1948年には自由大学が設立されたが,かつてのベルリン大学がもっていた権威には達していない。その他,オリンピック=スタジアム,動物園,テンペルホフ飛行場などがある。古いベルリン市の大部分は東ベルリンにある。しかし,多くの工場・企業が西ドイツに逃れたので,新しく光学工業,繊維・食品などの工業がおこっている。カール=マルクス通りは社会主義の威信をかけた建築が並び,ウンター=デン=リンデン街,ブランデンブルク門,国立オペラ劇場,マリア聖堂も同称の意味で復建された。旧ベルリン大学はフンボルト大学となり,科学アカデミーも設立されている。東・西ベルリンは地下鉄などで結ばれているが,通貨マルクの価値が異なり,旅行者などに制約を与えている。いずれにせよ,ベルリンは対立する世界の象徴といえる。

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