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●ペルシア語 ペルシアご

アジア イラン・イスラム共和国 AD 

 インド=ヨーロッパ(印欧)語族のインド=イラン語派のうち西南イラン語に属する言語でイランの国語。アフガニスタンではダリー語と呼ばれ同国の公用語の一つ。イランの2500年の長い歴史に沿ってペルシア語も歴史的に古代・中世・近世ペルシア語に分かれるが,一般にペルシア語といえば7世紀なかばから今日にいたるイスラーム期イランのアラビア文字で書かれた近世ペルシア語を指す。

古代ペルシア語古代ペルシア語とはアケメネス朝の王が碑文を刻むのに用いた言語で,同朝の宮廷語でもある。アッカド語の楔形文字を改良した古代ペルシア語楔形文字が用いられ,文字は36字の音節文字と8種の表意文字から成り,左から右に書かれた。18世紀から19世紀にかけて西欧の東洋学者の研究の結果,この文字が解読され,古代ペルシアの歴史・文化・宗教などが明らかになった。アベスター語と同じように屈折語の性格を有し,格変化,数,文法性などにおいて近世ペルシア語と較べてはるかに複雑である。この言語で刻まれた代表的な碑文はダリウス1世が戦勝を記念してつくらせたビーソトゥーンの磨崖碑文であり,この他にペルセポリスやスサなどにもいくつかの碑文が現存する。この言語はアケメネス朝滅亡とともに消えた。

中世ペルシア語中世ペルシア語古代ペルシア語を母体とし,アケメネス朝滅亡後にパルティア語をへて成立した言語で,ササン朝時代の公用語・宗教語・学術語で,パフラヴィー語ともいわれる。7世紀半ばに同朝滅亡後もゾロアスター教司祭によって保持され,9世紀まで細々ながら存続した。セム系アラム文字で表記され,右から左に書かれた。古代ペルシア語の屈折性は失われ,文法は単純化して近世ペルシア語に近いが,1字多音・史的記法・訓読語詞などの理由で難解な言語である。碑文の他にかなりの文献も現存し,文献はゾロアスター教に関する宗教文献と非宗教文献から成り,前者がはるかに多くを占めている。

【近世ペルシア語】中世ペルシア語を母体として7世紀なかば以降のイスラーム期に成立した言語が近世ペルシア語である。ササン朝がイスラーム・アラブ軍の攻撃で滅亡して以降,約2世紀間,イランはアラブの直接支配下に置かれ,かつての中世ペルシア語に代わってアラビア語が公用語・宗教語・学術語の位置を占めた。イランがイスラーム化する過程において多くのアラビア語彙が導入されたが,当時ペルシア語は話し言葉にすぎなかった。9世紀にイラン民族王朝が樹立されるにおよんで,アラビア文字の表記による近世ペルシア語が誕生し,文学語として用いられ始めた。中世ペルシア語の難解さは一掃され,文字と多くのアラビア語彙で装いを一変し,東洋のフランス語ともいわれる甘美な言語になった。アラビア文字の28字にペルシア語固有の音を表す4字が加えられ32文字で表記されるが,アラビア語音はペルシア語化されて平易になった。

 10世紀に“ペルシア文芸復興”がイラン東北部や中央アジアで起こり,詩と散文の基礎が築かれ,とくに詩の分野においては11世紀前半までにペルシア詩の主流であるホラサーン=スタイルが確立した。セルジューク朝以降は文学語としてばかりでなく,行政語,学術語としても広く用いられ,イスラーム世界においてアラビア語に次ぐ重要な言語として大きく貢献した。15世紀末にいたる古典文学時代にはいくたの優れた大詩人が現れ,その作品は世界文学においても高く評価されている。たとえば民族叙事詩のフィルドゥシー,四行詩のウマル=ハイヤーム,抒情詩のハーフィズなどである。中世においてはイランだけでなく,中央アジア・北インド・トルコなど広大な地域でペルシア語が公用語,学術語として用いられ,ペルシア語文化圏を形成した。16世紀から18世紀まではペルシア文学の停滞時代が続いたが,19世紀半ば以降西欧文学・思想の影響を受けて大きく変化し,今世紀には文学活動も活発になった。

〔参考文献〕伊藤義教『古代ペルシア』1974,岩波書店

黒柳恒男『ペルシア語の話』1984,大学書林