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●ヘラクレイトス

BC 

 前6世紀末から5世紀初めごろに活躍した重要な哲学者。小アジアのエフェソス出身。彼の生涯については確実なことはほとんど伝わっていない。現存する伝記の内容は,ヘレニズム時代の著述家たちの悪意ある中傷に満ちている。彼がエフェソスで最も古い貴族の出で,本来なら都市の祭司となるはずであったが,その職を兄弟に譲り渡したという逸話にしても,真偽のほどはわからない。ただ彼がエフェソスの権力を奪ったデモス(平民)に敵意と軽蔑をもったということは本当であろう。もっともヘラクレイトスにかかれば,同胞のみならず,すべての思想家(たとえばホメロス,ヘシオドスピタゴラス,クセノファネス,そしてヘカタイオスなど),そして結局は人類全体が愚かで無知ゆえに軽蔑の対象であった。〈彼らは眠っているあいだは自分が何をしているか忘れてしまっているが,目覚めてあるときも自分の行動に注意をむけないのだ〉といってヘラクレイトスは非難している。しかし,では,いったい人々が愚かさゆえに見落とした真実とはなになのか。後世の人が『宇宙の本性について』なる表題を与えたヘラクレイトスの著作は,さまざまな人に引用されて100以上の断片を残しているが,それらはいずれも格言ないし箴言のようなもので,脈絡がない。すでにその思想の難解さのゆえに,古代にヘラクレイトスは「暗い人」と呼ばれていた。したがって,最近まで多くの研究者は残された断片のみに頼るのではなく,断片を引用した著述の文脈を第1の手掛かりと考えて,ヘラクレイトスの思想に迫るという方法をとってきた。ヘラクレイトスは弟子のクラテュロスを通じてプラトンに影響を与え,またヘレニズム時代にはストア学派の思想の祖とも仰がれたので,いきおいそのような研究方法は,プラトンやストア学派の世界をヘラクレイトスに投影することになる。ヘラクレイトス自身が繰り返し主張したのは,万物流転の根源にあるロゴスの重要性である。彼のロゴスはきわめてあいまいで,多義的である。自然の根本法則であるかもしれないし,単に事物の生成あるいは出来事の起源の説明にすぎないかもしれない。さらに万物がさまざまに変化しながらもつねに一定の比率を保っていると彼が主張するとき,その一定比率を示すとも考えられる。水は蒸発して空気となり,空気は氷結して水となり,大地は変じて海となる。これらの変化は同時におこったり,順序を定めておこったりするが,世界全体をみれば水と空気と大地の割合は,つねに一定なのである。彼はこれを説明するために,対立する事物がそれ自体として統一体を形成しているということを人々に納得させようとつとめた。〈青年のなかにすでに老人がおり,老人のなかに青年が含まれている〉,〈上り坂も下り坂も1本の同じ道である〉,〈同一のものが生きかつ死んでいる,(なぜなら)水は魚にとって生であるが人間にとって死である〉――このような逆説的表現によってヘラクレイトスは明らかに,一つの変化が絶えず反対方向の変化を同伴しているので,安定が保たれうるのだと主張しているのである。変化と安定が感覚と理知にどのように割り当てられたのか,定かでない。感覚によって把握できる安定も理知によってしか理解できない変化を蒙っているとプラトンは解釈しているが,それがヘラクレイトスの真意であるとは思えない。むしろ,感覚と理性が十分に分離されない世界に彼は生きていたであろう。万物の根源としての火の重要性についても,われわれはストア学派の思い入れを離れて再考する必要がある。