●紅花 べにばな
アジア 日本 AD
紅藍・呉藍・末摘花(すえつむはな)ともいう。古くは呉国より渡来し呉藍と呼び,また花弁だけを摘むので末摘花ともいう。古代の『延喜式』によると紅色染料として,また貢納物として,関東・中部・近畿・中国24カ国におよぶ地域でつくられ,当時は租税の一種として課徴されている。これも染色植物として栽培されたためである。とくに東北地方が上質紅花の生産地として有名で,のちに関東へ普及している。なかでも羽州の最上川沿岸地域は重要な産地であり,大石田の豪商鈴木清風は紅花成金として,また元禄文化の育成者として名高い。花弁から紅餅をつくり,干花として京都や江戸の問屋へ輸送し,京都では紅花問屋の手で紅粉屋にまわされ染料に使用された。江戸では紅問屋の下に紅粉絞屋ができ,口紅生産をしている。原産地では荷主買次問屋が繁栄し,その下に目早・きんべが買集めに努力し,山形をはじめ各地の地方商人はこれにかかわっている。この商品は高価なものであったが,商品作物として有利なので藩の奨励を受けた。