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●ペトラルカ

ヨーロッパ イタリア共和国 AD1304 両シチリア王国

 1304〜74 イタリアの桂冠詩人。ゲルフ黒党に追放された公証人を父にもつ。モンペリーとボローニャで法律を学ぶ(1316〜26)。しかしアヴィニョンの自由生活で法学を放棄。1318年母を,1326年に父を失う。1327年,聖クララ教会でラウラに出会い,『カンツォニエーレ』を書きはじめる。1330年,枢機卿コロンナ家に仕える。1333年パリ・フランドル(キケロの未発見演説2篇を発見)旅行。1341年,ローマ元老院から芸術と知識の勝利を示す桂冠をカンピドリオで受ける。1343年,枢機卿の外交使節としてナポリに行く。1347年,ローマ再興を熱望して立ちあがったコッラ=ディ=リエンツォの革命の成功と挫折(1354)をみて狂喜と幻滅を味わい,有名な政治客簡を書くが,政治への直接関心は薄れる。1348年ラウラ死去。1353年から8年間,ミラノのヴィスコンティ家のもとで過ごし,さらにパドブァ,ヴェネツィア,パヴィアに移り,晩年はアルクァで過ごし,そこに埋葬される。著書には『二つの運命の治療』『秘話』『アフリカ』『勝利』などがあるが,とりわけ彼の名声をあげた叙事詩『カンツォニエーレ(俗語断片詩集)』は綿密に選択・分類・修正された上に俗語による詩的構成をとり,大部分がラウラに対する愛をうたったものからなる。この世のはかなさと愁いを感じさせる彼の詩は,近代人のかおりをもち,文学上ルネサンスの先駆者となる。

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