●ベケット
AD1118
1118?〜1170 カンタベリ大司教。教会裁判権の帰属をめぐるヘンリ2世との対立は有名。父はノルマン人でルーアンから移住。ベケットは幼少のころから秀才で,ロンドン,パリ,ボローニャで学ぶ。1155年,ヘンリー2世から大法官に任命された。彼は世俗的で派手な暮しをしていたが,1162年,カンタベリ大司教に就任すると,まったくの教会人の生活に入る。彼は国王への奉仕から解放され,自らはイングランドにおける教皇と教会の代表者と考えた。ところが,王は1164年,クラレンドン法典を制定し,教会裁判権の剥奪をはかる。ベケットは強硬に反対し,ローマ教皇庁に訴えた。両者の対立は激化し,彼はフランスに亡命する。1170年,和解が成立して帰国するが,帰国後,王に味方した司教や貴族を破門した。王の憤激をまのあたりにした4人の騎士は宮廷から抜け出し,同年12月29日,カンタベリ大聖堂で彼を暗殺した。1173年,ベケットは殉教者に列せられ,人々から崇拝されるようになる。逆に,王の立場は非常に不利となった。