●北京議定書 ペキンぎていしょ
アジア 中華人民共和国 AD1901 清
1901年(光緒27)9月,義和団事件の戦後処理に関して,清国と列強11カ国とのあいだに調印された条約で,辛丑条約とも呼ばれる。そのおもな内容は,次のとおりである。[1]日本,ドイツへの謝罪使の派遣,[2]責任者の処罰,[3]賠償金4億5,000万両の支払い,[4]公使館区域の設定と同地域における外国軍の駐兵,[5]大沽その他の諸砲台の撤去,[6]北京−山海関の12の要地における外国軍の駐屯,[7]天津周辺20里以内における中国軍の駐留禁止,[8]外国人への殺害が行われた地域での5年間の科挙停止,[9]排外団体への加入禁止,[10]各地の官吏に対する排外暴動鎮圧の義務化などであり,正文12条,19の付属書からなる。以上のように,この条約は清朝の財政や軍事・政治,さらには,中国人民の反帝国主義運動などに強い統制を加えるものであった。とくに[3]の賠償金支払いは,39年間の年賦の利子を含めると9億8,000万両にも達し,海関税・塩税および常関(交通の要衝に設けられた内地関税)収入が,担保として外国の管理下に置かれたこと,また,各省に対する賠償金の分担加派が,やがては増税として農民などに転嫁され,彼らによる抗糧闘争や抗捐抗税闘争の激化の背景となったこと,そして[4]の駐兵権の承認が,のちの日華事変の際の日本軍の北京・天津への増派の根拠とされたことなどが重要である。