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●平和思想 へいわしそう

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 平和概念は,とくに今世紀前半まではつねに戦争の対概念として考えられてきた。最も素朴には,平和は戦争がない状態を意味する。しかし戦争との対比でみられる限り,侵略戦争と自衛・自立の戦争とのそれぞれに応じて,隷属的平和自立的平和との両義の対立が生じる。どんな隷属状態も戦争状態よりましだとする,おもに体験的実感から生じる無条件的平和の思想が一方にあり,他方に平和があっても人間的自由が疎外されては無意味とする条件的平和の思想がある。歴史上の侵略的戦争がことごとく自衛のための戦争として自己正当化された事実は,前者の思想を支えている。またとくに前世紀以後の帝国主義的戦争の体験は,平和のための戦争として後者の思想の根底にある。しかし,平和の思想は第二次世界大戦以後,人類生存の基礎的条件にかかわるものとして大きく変化する。

【核戦争の問題】人類にとって戦争の意味を変えた最大の要因は,核兵器の開発である。原水爆とその運搬手段,ミサイル・原子力潜水艦などの発達はめざましく,その破壊力・影響力は,現在では広島・長崎の段階と比べようもないほど強大になった。また現在の地球上の核兵器保有量は,地球の完全破壊に必要な量の100倍とも1,000倍ともいわれる。従来の戦争は勝者による敗者支配によって終わったが,核兵器による全面戦争は,その破滅的影響を敗者だけに限定しない。近時,“核の冬”すなわち大規模な核爆発がもたらす全地球的な環境破壊が話題となっている。核戦争による破壊的結果には未知な点も多いが,いずれにせよ地球上の全生命への破滅的な影響力は明らかである。そこには勝者も敗者もなく,傍観者を含めた無差別な死滅だけがある。通常兵器による死も核兵器による死も,死という点では同じだとする考え方には,社会的・人類史的視点が欠けている。核兵器の破壊力は,単に個人的な死を越えて,長期的大規模的に人類の絶滅に結びつく。地上の人類社会が滅びても自分だけは生き残るという思想は,核シェルターなどに具体化しているが,この独善的思想は幻想である。核兵器の危険の一つは,単なる事故や狂気が,結果的に全面的な破壊をもたらす可能性にもある。ボタン戦争という呼称もあるが,その作動が少数者にゆだねられる機構は,意図も理由もなしに人類絶滅の戦争を始めることを可能にする。その結果は非可逆的・決定的である。このような危険を逃れる唯一の方法は,地球上から核兵器を一掃することだけである。

【核廃絶の運動】平和への努力の一つの中心は,全人類の生存基盤の確保のための,核兵器の廃絶にある。広島・長崎の体験に発したわが国の原水爆禁止の運動は,全世界的にひろがりつつある。被爆者による実態の訴えは,広く共感を喚起している。核戦争の悲惨な非人間的な実態への認識も徐々に深まってきている。しかし一方では,世界の大国における核兵器の開発競争は,激化するばかりである。核廃絶の第1歩である核軍縮も,問題提起後30年の現在,みるべき進展もないのが実情である。また地域住民の被害が問題とされながらも,核爆発実験は繰り返されている。核廃絶の運動は,核兵器の現実への深い認識と,平和を望む人々の意志の広汎な結集をめざす長期的な努力を必要とする。

【戦争の廃絶】核兵器は戦争の概念を一変した。19世紀的な意味での“外交手段としての戦争”は成立しなくなったといわれる。しかし一方で,現在にいたるまで地球上での局地的ないわゆる限定戦争が絶えたことはない。それが限定戦争にとどまっているには,政治的・倫理的・物理的な理由がある。しかし条件が揃えば,原理的には全面核戦争へと拡大する可能性はつねにある。敗北よりも他をまきこんでの全滅を選ぶ思想はけっして珍しくない。戦争とは本来的に狂気の状態である。ラッセルも「国家的な誇りを失う方が,核による全滅以上に怖ろしいと感じられる」可能性を指摘している。要するに限定戦争は全面核戦争に直結する可能性をつねに含んでいる。こうして核戦争回避には,戦争一般の廃絶が条件となる。核兵器廃絶の運動は,戦争廃絶の運動と必然的に結びつく。

 国際的戦略として,“力の均衡”がいわれることがある。潜在的な武力脅威が拮抗することによって,戦争が抑制されるとする思想である。これはまた潜在的戦争を外交手段とする思想であり,破産したはずの19世紀的思想の再現である。潜在的であるにせよ武力を手段とする限り,相互の不信感は自らの武力の優位をめざし,兵器開発競争は際限がなくなる。それは現在の国際情勢が明らかに示しているとおりである。“力の均衡”思想は,理論的にも現実的にも破産している。戦争廃絶の思想は,必然的に軍備全廃の思想に結びつく。

平和憲法日本国憲法は,国際平和の実現のために戦争と〈武力による威嚇又は武力の行使〉を国際紛争解決の手段として〈永久に放棄する〉こと,また〈陸海空軍その他の戦力〉を保持しないことを誇らかに宣言している(第9条)。その基礎には,歴史的な戦争の正当性の相対化と,戦争の全面的な罪悪性の認識がある。戦争が究極的に人類社会の絶滅に通じることの体験的認識と,国際関係の安定のためには理性的な相互理解と相互協調が唯一の方法であることの自覚,この平和憲法の思想は真に先進的な,人間性尊重の思想の表現である。現在の日本には,自衛隊やアメリカの軍事基地の問題など解決すべき問題も多くあるが,この憲法の思想を擁護し実現する努力こそが,平和への道の基本的条件である。戦争廃絶の運動は,必然的に憲法擁護の運動と結びつく。

【国際的連帯】“力の均衡”思想を越えて国際的緊張を緩和するためにはまず相互理解が必要である。イデオロギー,文化,宗教,社会構造の相違を相互に承認・尊重すること,とくにそこでの非寛容性についての自己認識を深めることが必要である。第二次世界大戦後の国際連合は,国際的連帯と協力の機構として,問題性をもちながらも一定の機能を果たしてきた。現在,種々の IGO政府間国際組織)はその制度的保障を背景に,また NGO非政府間国際組織)は自由な問題視点から,国際的相互理解の増進に資している。国際的な緊張と不信を生じた主要原因の一つは,国家間収奪にある。19世紀的な露骨な植民地収奪は,今世紀中葉以後の民族意識高揚のもとで後退したが,南北格差の問題は依然として続いている。経済侵略という語で表現される国家間収奪は,国内的収奪と重なって後進諸国の経済的・文化的貧困を増幅させている。中近東,中南米,アフリカで続発する戦争は,代理戦争の一面をもつことも多いが,その根底には国内・国際的な収奪とそれによる一般国民の貧困がある。その解消のためには,国際的な,とくに先進諸国の理解と積極的な協力が必要である。

【差別と収奪】平和思想に活力を与えるのは,戦争の恐怖ではなく人間的な社会生活の建設である。社会構造的に生きがいのある生活が保障されず無目的な社会では,民族の結集とその精神の高揚を要求する戦争に,倒錯した生きがいを感じる事態も生じる。現代の資本制のもとでの大規模な生産機構のなかでは,1個の歯車として自らの精神さえも収奪される危険は大きい。一方では人種,宗教,思想,経済などによる種々の差別も,個人の自由な活動を抑圧する。自由と人権が抑圧されているところでは,真の意味での平和の思想は不可能である。憲法の保障する基本的人権は,無条件に現実に尊重されるものではない。それが実質的に尊重される社会をつくるためには,われわれの積極的な努力が必要である。平和への努力が生命をもつためには,心からの愛着をもてる社会がなければならない。そのためには,環境,資源,人口,エネルギーなど多くの問題が解決されねばならない。こうして平和の問題は,社会構造の根源的・全体的な問題にかかわってくることになる。

〔参考文献〕I.カント『永遠平和のために』岩波書店