●平民主義 へいみんしゅぎ
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日本歴史の上で,明治20年代の徳富蘇峰の主張や明治後半期の社会主義運動が掲げた主張をさしている。[1]徳富蘇峰は1887年(明治20)1月,民友社を創立し翌月「国民の友」を創刊,1890年2月,「国民新聞」を発刊して,明治政府の貴族的な欧化政策や保守的な国粋主義に批判を加え,平民を主体とした生産的・平和的な社会を構想する平民主義を提唱した。期待する新しい人間像を実業に従事する“田舎紳士”に求め,この中等階級を独立自治の平民として国家主義に対置しようとしたが,日清戦争後は平民主義も国家主義へと転じていった。[2]1903年11月,幸徳秋水,堺利彦らによって結成された平民社の機関紙として週刊「平民新聞」が創刊され,この宣言の最初に〈吾人は人類の自由を完からしめんが為めに平民主義を奉持す,故に門閥の高下,財産の多寡,男女の差別より生ずる階級を打破し,一切の圧制束縛を除去せんことを欲す〉と主張した。この平民は労働者・農民の立場であった。